ビラ軽井沢は群馬県吾妻郡嬬恋村の宿泊施設。 投機的な不動産開発を行いさかんにTVコマーシャルを流し...

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名称 ビラ軽井沢(サンハイツ白樺の里)
住所 群馬県
種類 団地・住宅・別荘
群馬県の団地・住宅・別荘
スコア
★★★★★★★★ 20
現況 現存
評価 ■■

ビラ軽井沢(サンハイツ白樺の里) 概要・歴史

ビラ軽井沢は群馬県吾妻郡嬬恋村の宿泊施設。

投機的な不動産開発を行いさかんにTVコマーシャルを流していたことで知られる「磯村建設」の別荘地「サンハイツ白樺の里」内に位置する。

ビラ軽井沢は1978(昭和53)年築の鉄筋コンクリート造建物で、不動産共有型の会員制リゾート施設だった。

磯村建設は1967(昭和42)年に設立、寄居町などで宅地分譲を行っていたほか、マンションや別荘地開発を精力的にすすめていたが、1985(昭和60)年8月23日に2度目の不渡りを出し、89億円の負債を抱え同年9月17日に破産宣告を受けた。

別荘地「サンハイツ白樺の里」は管理などを請け負っていた「エイワンサービス」に引き継がれるが、それも2015年に破綻、以後自主管理組合によって管理されている。

「ビラ軽井沢」は2000年頃までは利用されていたらしいが、その後は管理が行き届かなくなり、壁面の損壊や雨漏り等でやや朽ちた状態になっている。権利関係が複雑で処分もままならないらしい。

別荘地内にはこの「ビラ軽井沢」のほか、管理組合事務所としても使われていたレストラン「サンドリーナ」、隣接するテニスコートなどが廃墟状態となっており、また多くの木造2階建てアパート型の建売別荘が手入れの不十分なまま一部で半壊している。

この木造2階建てアパート型の建売別荘は貸別荘としての利用を見込んだ投資物件だったらしいが、通年利用を想定せずに粗製乱造されたため、雪害などにより腐食・崩壊が進んだものらしい。

別荘地自体は季節利用のほか定住者もあり、多くの建物が居住され管理され、人の出入りが頻繁にある。放棄された建物の外観は容易に見学できるが、内部の立ち入り等は厳に慎まれたい。

この物件のオリジナル画像をご提供頂ける方は、ぜひこちらよりご連絡下さい

ビラ軽井沢(サンハイツ白樺の里) 関連ブログ・参考リンク

サンハイツ白樺の里(群馬県嬬恋村・旧磯村建設別荘地) 序 | URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-
https://urbansprawl.net/archives/29619371.html
 このブログをお読みいただいている読者の方は、おそらく「磯村建設」という開発業者の社名を、一度は耳にしたことがある方も多いと思う。僕自身も、これまで磯村建設については、名前こそ知っていたものの深く掘り下げる機会はなかったので、あるいは僕などよりもよほど詳しい方も多いかもしれない。
サンハイツ白樺の里(旧磯村建設別荘地)② 保全処分のまま放置されたレストラン跡 | URBANSPRAWL -限界...
https://urbansprawl.net/archives/29634721.html
 では、実際に鬼押出し園側の入り口からサンハイツ白樺の里に進入してみることにした。入口からしばらくの間は、木立の合間に切り開かれた直線路が続く気持ちの良い道だが、やがて頭上に「白樺の里 管理事務所」と書かれたアーチが見えてくる。このアーチの先に広がる別荘地が、白樺の里の中で最も規模が大きい第1期の区画だ。
サンハイツ白樺の里(旧磯村建設別荘地)③ 共倒れの会員制リゾート施設 | URBANSPRAWL -限界ニュータウ...
https://urbansprawl.net/archives/29641528.html
 続いては、前回の記事で紹介したテニスコート跡の東隣、既に深い雑木林と化した敷地の奥で、ひときわ巨体な廃墟となって異様な姿を晒している「ビラ軽井沢」なる施設の踏査を行うことにした。名称からして既に騙す気満々なこの「ビラ軽井沢」とは、かつて磯村建設が運営していた、不動産共有型の会員制宿泊施設の残骸である。
磯村建設別荘地に行ってきた | たまに昭和散歩
https://ameblo.jp/showatanbou/entry-12506533228.html
●群馬県嬬恋村 磯村建設の別荘地「サンハイツ白樺の里」●   この別荘地の情報を特定したのはもう2年近く前なのですが、埼玉県内の宅地分譲と比べて地味で知名度もなく、成果も限定的と思われたので調査を先延ばしにし続けていたのです。しかし時間が経過するほど現地の状況は変化してしまうはずで、早いほうがいい。2018年の年明け、ちょうど群馬県に用事ができましたので、思い切って足を延ばしました。ついに磯村建設の別荘地の様子が明らかになります。CM画像と照らし合わせることはできないので物証にたどり着くのは無理でしょうが、とりあえず現地の詳細については公開しておく必要があると考えたのです。