https://aizu-kenchikushi.sakura.ne.jp/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E3%81%AE%E5%BB%BA%E7%89%A9/%E6%97%A7%E9%80%A3%E9%9A%8A%E3%81%AE%E5%85%B5%E8%88%8E%E3%81%A8%E9%96%80/
旧歩兵六十五九連隊、旧歩兵二十連隊の兵舎として建設され戦後は引揚者、戦災者、復員者の住宅にあてられた。明治32年に会津若松市会津寮となり、平成5年まで入居者があった,以後、空家であり倉庫として利用されている。旧連隊の配置図や写真と照合して見ると、連隊内の建物であったかどうか疑問が残るが、建物形状・装飾(窓の額縁)やレンガ基礎の換気孔の細工を見ると、一般兵舎との違いがみられ、旧連隊の配置図中の「将校集会所」ではないかとも思える。旧連隊建物の最後に残された物件である。
https://4travel.jp/travelogue/11942200
猪苗代に行ったついでに、前から行きたかった鶴ヶ城の若松連隊戦跡(戦争遺跡)に寄ってみました。会津若松には、明治41年(1908年)から歩兵第65連隊(第2師団)の兵営がありました。大正時代の軍縮で同連隊が廃止されると、歩兵第29連隊を仙台から誘致しました。1937年に、歩兵第65連隊は再度、第13師団内に編成され、歩兵第29連隊(第2師団)とともに、若松連隊区司令部が兵の徴募を担当しました。
https://x.com/ugvpenl6jzsyfsp/status/1974916632242970741?s=46&t=Ogj-508sJyvaF_3__D1rsg
歩兵第29聯隊施設場所的に聯隊か聯隊区司令部と関係あるのかな?