志津北尋常小学校青菅分教場(志津小学校青菅分校)は、千葉県佐倉市に残る木造の廃校。 1903(明治36....

志津北尋常小学校青菅分教場

志津北尋常小学校青菅分教場 概要・歴史

志津北尋常小学校青菅分教場(志津小学校青菅分校)は、千葉県佐倉市に残る木造の廃校。 1903(明治36....

志津北尋常小学校青菅分教場 画像

志津北尋常小学校青菅分教場(2020年5月)
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木造平屋建ての味わい深い校舎跡
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経年劣化は進んでいるものの、大きな損壊もなく管理されている
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ガラスも綺麗に残っており、屋根にも損壊は見られない
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ガラス越しに廊下を伺うと、非常に綺麗な状態である
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近くのスポット

志津北尋常小学校青菅分教場 ストリートビュー・空中写真

志津北尋常小学校青菅分教場 関連ブログ・参考リンク

http://www5d.biglobe.ne.jp/~sansaku/sub4-2-3.htm
なつかしい木造校舎 旧青菅分校. 佐倉市井野 ユーカリが丘線「中学校」駅北東1.3㌔. 明治36年、志津北尋常小学校青菅分教場としてとして設立。 昭和22年、志津小学校第 2分校となり、(昭和36年青菅分校と名称変更)昭和52年3月廃校。現在の校舎は、
http://www5d.biglobe.ne.jp/~sansaku/bh01.htm
明治36年、志津北尋常小学校青菅分教場として設立。 昭和22年、志津村立志津 小学校第
http://www.geocities.jp/sakura_hiking/1_spot/aosuge_bunkou/spot.html
明治36年志津北尋常小学校の青菅分教場が、現分校跡の西方に設立され、青菅・先崎 の児童が通学した。 昭和36年第一分校が上志津小学校として独立する時、第二分校 は、「佐倉市立志津小学校青菅分校」と改称され、昭和52年3月に廃校になりました。
http://www.catv296.ne.jp/~sansaku/bh01.htm
明治36年、志津北尋常小学校青菅分教場として設立。 昭和22年、志津村立志津 小学校第2分校、昭和36年に青菅分校となり、昭和52年3月に廃校になりました。現在 は地区の集会場として活用され大切に使われていて、廃校時の原形を保っています。
http://www.catv296.ne.jp/~sansaku/sub4-2-3.htm
なつかしい木造校舎 旧青菅分校. 佐倉市井野 ユーカリが丘線「中学校」駅北東1.3㌔. 明治36年、志津北尋常小学校青菅分教場としてとして設立。 昭和22年、志津小学校第 2分校となり、(昭和36年青菅分校と名称変更)昭和52年3月廃校。現在の校舎は、
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2012/10/post-f37d.html
2012年10月11日 この、まるで廃校のような建物…… 何だと思う? Aosuge_01 実は…… 廃校なのだ。 旧志津小学校青菅分校の校舎。 Aosuge_02 このお洒落な入口。 明治36年に志津北 尋常小学校青菅分教場として設立。 昭和22年に志津村立志津
http://yuyunosato-blog.sakura.ne.jp/sakura/2014/02/post-254.html
この地には、明治36年志津北尋常小学校青菅分教場として設立。 昭和22年志津村小学校第2分校となり(昭和36年青菅分校と名称変更). 現在の校舎は昭和30年落成したもので、昭和52年3月廃校とあります。 【私たちの年代では、そんなに 
http://hiedanoaqn.blog.fc2.com/blog-entry-52.html
志津北尋常小学校青菅分校. 2012/05/19 Sat. 22:06 [edit]. 同じクラスに廃墟とオカルトが大好きな女子がいて、知ってる廃墟を適当に言ったら連れてってくれという謎の展開になったので、千葉の廃墟で割と有名な尋常小学校に行ってきました他にも2箇所回りましたが大した場所じゃないので省略します. IMG_5291.jpg この校舎は昭和36(1961)年設立、昭和52(1977)年に廃校になりました廃校から35年経ちますが、地元住民の皆さんのお陰で原型を保っています モノクロ差分. IMG_5312.jpg 他にも何枚かモノクロで 
http://dateshigesane.jugem.jp/?eid=55
旧志津小学校青菅分校であるこの廃校は地元有志により保存活動がされているもちろん、中には入れないがそれでも見る価値はあると思う途中で古い民家を見つけたさて、駅に戻るユーカリが丘線の車両基地が見える女子大駅であるただし、女子大なんて周囲にない誘致に失敗しそのまま駅
http://red.ap.teacup.com/ciq64480/4709.html
8月下旬に千葉廃墟探訪。次は「志津北尋常小学校青管分教場」です、とにかく道が分かりずらく何回もここの前を通り過ぎました(汗無事に見つけた訳ですが、何とも雰囲気のある建物でしばし見とれていました。ここも残念ながら中に入る事は出来ませんでしたが、数枚ガラスがない所
http://blog.livedoor.jp/kurobee_ruins/archives/9527458.html
2016年4月6日、2017年4月7日探訪。 明治36年、志津北尋常小学校青菅分教場として開校、 昭和30年に現在残る校舎が建てられ、昭和52年廃校となった。 桜が咲くこの時期を狙って行ってみた。 小さな校舎だが中々良い
http://inderruinensein.blog90.fc2.com/blog-entry-239.html
近場の廃校。このあたりから5D Mark3で撮ってます。
http://biisuke0822.blog.fc2.com/blog-entry-806.html
消防倉庫の奥に見えるのが 旧志津小学校青菅分校      右側の建物は跡から建てられたこの地域の公民館。      こちらが 旧志津小学校青菅分校 の校舎全景      正面玄関です      玄関のガラス越しに中を覗いてみます。(ガラスが反射して画像だとよく見えません)      分校と言うだけあって、そんなに大きくありません。ここで、旧志津小学校青菅分校の歴史を.........明治36年に志津北尋常小学校の青菅分教場が、現分校跡の西方に設立され、青菅・先崎地区の児童が通学しました。昭和20年後半からの志津地区(現ユーカリが丘を含む)の人口増加に伴い、昭和30年に志津村立志津小学校の第二分校として校舎を新築されました。現在、この地に立つ校舎はこの昭和30年に建てられたものです。昭和36年第一分校が上志津小学校として独立する時、第二分校は、「佐倉市立志津小学校青菅分校」と改称されました。昭和52年3月に志津小学校青菅分校は廃校になりました。
https://www.bgg-eikokudo.net/entry/2017/06/17/053000
これが旧青菅分校跡です。左奥のは管理棟の様で、校舎は右の建物です。  SONY a7II + SIGMA MC-11 ( SA-E ) + 20mm F1.4 DG HSM A015 想像ですが教室は2つ。右手の桜の木の脇が校舎入口です。桜の時期は綺麗でしょうね。 SONY a7II + SEL35F14z     SONY a7II + SEL35F14z 窓に映り込む青空が綺麗でした。  SONY a7II + SEL35F14z 擦りガラスにも多数の傷が。
https://minkara.carview.co.jp/userid/937327/blog/35648435/
ほー。雰囲気あるなぁこれは。。。木に囲まれてひっそりと佇む様子がいいね(・∀・)大きな桜の木があるから春はキレイなんだろうなぁ(*'ω'*)えーと、昭和30年新築だから…築60年だよね?そんな風には見えなくてビックリした。ところどころ痛みはあるけど状態は良いように見えます。玄関板張りの外壁が素敵だなー壁と柱の色あいがオシャレ(´ω`)玄関から中を覗いてみました。残念ながら建物の中には入れないので外から覗くだけ。めっちゃキレイじゃないか!教室も見てみましょ。おぉ!木造校舎ならではの味のある感じ…入ってみたいっ!!!調べたら地元の方が建物のメンテナンスをしていたようです。どうりで状態が良いわけですね☆外の壁にあったコレなんだろう?チャイム?
http://sakuranosekihi.web.fc2.com/sn11aosugebunkou.html
 明治36年志津北尋常小学校の青菅分教場が、現分校跡の西方に設立され、青菅・先崎の児童が通学した。昭和20年後半から志津地区(現ユーカリが丘を含む)の人口増加に伴い、昭和30年に志津村立志津小学校の第二分校として校舎が新築された(上の写真の左側の木造建物)。昭和36年第一分校が上志津小学校として独立する時、第二分校は、「佐倉市立志津小学校青菅分校」と改称され、昭和52年3月に廃校になった。廃校から40年近くなるが地域の人々のお蔭で廃校時の原型をとどめている。写真右側の建物は地域の集会所の「青菅会館」である。
https://satoyama-thanks.jimdofree.com/%E9%87%8C%E5%B1%B1%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E5%BB%83%E6%A0%A1%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF/%E6%88%90%E7%94%B0%E6%9D%B1%E4%BD%90%E5%80%89%E9%9D%92%E8%8F%85/
ユーカリが丘線の「中学校」駅から徒歩15分くらい。新興住宅地を抜けると一気にのどかな里山風景となる。 学校は、1903年(明治36年)「志津北尋常小学校青菅分教場」として設立され、1955年(昭和30年)に現在の校舎が完成。その後、1977年(昭和52年)3月に廃校となった。 校庭の桜の木越しの小さな木造校舎は、まさに懐かしい昭和の風景だ。周囲の森からは鳥のさえずりも聞こえてくる。バス停に分校の名前が残っているのが嬉しい。日本大学創生デザイン工学科を中心に保存・創生プロジェクトを立ち上げられ、市や地域住民とともに活動を続けている。