森永乳業徳島工場 概要・歴史
森永ヒ素ミルク事件の現場
森永乳業徳島工場は徳島県名西郡石井町にあった工場。
1938(昭和13)年に開設。
戦後最大の食中毒事件とされる森永ヒ素ミルク事件の現場となったことで知られる。この事件は、1955(昭和30)年に同工場の粉ミルクの製造工程でヒ素が混入し、飲んだ乳児が高熱や激しい下痢などを起こし、約1年間で130人が死亡したもので、被害者数は2010年11月末の時点で約1万3千人に上り、うち約1100人がすでに死亡している。
工場集約のため、2011年9月に閉鎖され、跡地利用について森永乳業と石井町の間で交渉が行われた。森永乳業が跡地を手放すことに慎重な一方、町は企業誘致など活用を求めていた。2015年10月に、森永乳業は条件次第では協力する意向を示したというが、この時点では具体化していなかった。
2019~2021年に別事業所が活用することになり、一部建物は解体、一部は転用され現役利用されている。
(※参考:日本経済新聞2011年1月20日、徳島新聞2015年12月3日)
改装・転用・リニューアルされています
2019-08-11
2024-08-16