桃花台新交通桃花台線(とうかだいしんこうつうとうかだいせん)は愛知県小牧市にあったAGT路線。愛称は...

桃花台新交通桃花台線

桃花台新交通桃花台線 概要・歴史

桃花台新交通桃花台線(とうかだいしんこうつうとうかだいせん)は愛知県小牧市にあったAGT路線。愛称は...

桃花台新交通桃花台線 画像

桃花台新交通桃花台東駅の列車折り返し用ループ線(2006年8月)
Kone (https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tokadaihigashi-sta-loop.jpg), „Tokadaihigashi-sta-loop“, https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/legalcode
桃花台西駅跡(2023年3月)
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桃花台東駅の先にあるループ線跡
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桃花台センター駅
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桃花台センター駅前の電話ボックス
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近くのスポット

桃花台新交通桃花台線 ストリートビュー・空中写真

桃花台新交通桃花台線 関連ブログ・参考リンク

http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/tokadai/tokadai1.html
新交通システム 桃花台線 1/2   15年余で姿を消した新交通システム   →パンフレットへ新交通システム桃花台線の路線図です。小牧~桃花台東7.4kmの営業キロでした。(↑桃花台線パンフレット(1988/昭和63年発行)より)愛知県が昭和40年代に計画した桃花台ニュータウン(上図の桃色部分)は、面積322ha、計画人口54,000人で、通勤・通学客が19,500人/日と想定され、バス輸送では限界があるということで、未来の乗り物として開発された新交通システム(中量ガイドウェイシステム)の導入が計画されました。その後、ニュータウン計画の遅れや縮小の影響で、新交通システム桃花台線の建設も遅れ、1991(平成3)年3月に開業しました。しかし、接続する名鉄小牧線が上飯田止まりで、名古屋の中心部へ出るには不便だったため、名古屋へ向かうニュータウンの住民は桃花台線に乗らず、バスや車でJR中央線の高蔵寺・春日井駅へ出ました。ニュータウン人口は計画の半分程度で留まり、通勤・通学客は想定を遙かに下回りました。2003(平成15)年3月に、地下鉄上飯田線が開通して相直運転を開始し小牧線は便利になりましたが、桃花台線の乗客は期待したほど伸びず、赤字が膨らみ、営業開始から15年半後の2006(平成18)年10月1日に廃止されました。運営していた桃花台新交通(株)も解散しました。私は、会社が設立された直後の1980(昭和55)年から5年間、桃花台新交通(株)へ出向していましたので、複雑な思いがあります。また、1996~2005(平成8~17)年は、名鉄住商(株)の担当として、桃花台線車両の定期検査を請け負い、最後は、桃花台新交通(株)の担当責任者(飲み友達)から頼まれて、桃花台線を延命させるためにどうしたらよいかという会議にも参加していましたが・・・(桃花台より先に名鉄住商が解散してしまいました・・・)桃花台線も廃止から既に10年経ちました。皆様の記憶から忘れ去られてしまうのが忍びなく、このページを作成しました「桃花台線建設史」 愛知県・桃花台新交通株式会社 1992(平成4)年3月発行より桃花台線建設史のP60に掲載された計画概要図...た。桃花台線⑳  Nさん撮影 桃花台東 2006(H18).7.30終点の桃花台東駅です。この左側に中央自動車道が走っており、その上を越してすぐに終点の桃花台東駅でした。駅が出来たのが、バリアフリー時代の前だったので、駅舎からホームまで結構長い階段がありました。桃花台線(21)  Nさん撮影 桃花台東 2006(H18).7.30終点の桃花台東ループです。曲線半径20m+55‰勾配でした。将来、高蔵寺方面へ延伸するため、ループ線を持ち上げ、その下を高蔵寺延長線が下り勾配で通過する予定でした。分岐装置が入るように準備工事もしてありました。桃花台線(22)  Nさん撮影 桃花台東 2006(H18).7.30上の写真(22)の逆方向からループ線を見上げました。桃花台線(23) 桃花台東  2006(H18).8.28ピーチライナーの先頭車110形の車内です。1方向運転の利点を生かして、全席前向きの固定クロスシートでした。ドアが片側なので、ドアのない側には座席が並んでいて、座席定員は先頭車20人、その他24人でした。(ピーチライナー100系新造時のパンフレットは次頁に掲載しています)桃花台線(24) 桃花台東  2006(H18).9.30最後尾車140形の車内です。後ろ側を向いて撮りました。なお、桃花台最後の日の様子は、一緒にプロジェクトに関わった愛知県OBのKさんのHP(伊那谷・四季折々の小さな風景)にも掲載されています。→桃花台線最後の日をご覧ください。桃花台線(25) 桃花台東  2006(H18).9.30車内の窓上の広告スペースには「16年間ありがとうございました」仕事でお世話になり、何度も訪問した桃花台ですが、残念ながら写真をあまり撮っていません。毎度のことですが深く反省しています。次のページには、桃花台線を紹介するパンフレット(開業前に制作)を2種類と、ピーチライナー100系のパンフレット、更にはおまけで桃花台ニュータウンのパンフレットをスキャナで読み込み掲出しました。  2016(H28).11.26up津島軽便堂 桃花台線2(パンフレット)へ参考図書: 「桃花台線建設史」 愛知県・桃花台新交通株式会社 1992(平成4)年3月発行
https://toppy.net/nagoyanow/060903.html
 新しく生まれるものがあれば、消えていくものがある。それがこの世の中の常ではありますが、今、名古屋近郊には「新」という名を付けたまま間もなくその姿を消そうとしているものがあります。それはピーチライナーという愛称を持つ、「新交通システム桃花台線」です。ピーチライナーが運行を開始したのが1991(H3)年の3月25日。ピーチライナーはわずか15年の歴史に間もなくピリオドを打とうとしています。なぜ名古屋近郊のベッドタウンを走る「新交通」が廃止という末路を迎えることになってしまったのか。車窓の風景を見ながら考えてみます。
http://www.hotetu.net/haisen/Tokai/090211pichiraina.html
更新日時 2009年12月23日 桃花台新交通株式会社(とうかだいしんこうつう)は、愛知県小牧市で新交通システムの桃花台線を運営していた、第三セクターの鉄道会社である。愛知県と小牧市、中部地方の企業である名古屋鉄道や旧東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)、中部電力、東邦ガス、トヨタ自動車などの出資によって1979年に設立された。本社所在地は、愛知県小牧市光ヶ丘6丁目4271の1。会社設立は、1979年。1991年3月25日の桃花台線開業と同時に、営業開始。資本金は、30億円。内訳は、愛知県は13.8億円、小牧市が3億円出資。加えて、愛知県より運営資金として30億円が、貸し付けられた。会社は2003年3月31日の決算において、61億円の繰越損失、31億円の債務超過状態となり、2006年9月には運営資金が底を付く見通しとなった。そのため、愛知県は桃花台線の存廃を含めて検討を始め、2004年12月に、愛知県は有識者による「桃花台線のあり方検討会」を設立する。検討会の提言により、愛知万博(愛・地球博)の愛・地球博線で採用された磁気誘導式無軌条交通システム(IMTS)に切り替えることを検討したが、同会の試算よりコストが高くつく事などから、この案は頓挫してしまった。また、その後の調査で、赤字解消が困難な事や桃花台ニュータウンの人口が減少する可能性などもある事から、同路線は2006年3月28日に、廃止が決定する。2006年9月30日限りで新交通システムの運行を取りやめ、翌10月1日に廃止。日本における新交通システムの初の廃止例となった。同年11月17日に臨時の株主総会を開き、業務などを清算会社へ移行する決議を経て、会社解散を決定。最終的な累積赤字は約65億円、債務超過額は35億8,452万円である。また東京商工リサーチによれば資産は10億7,595万円、負債総額は45億9,710万円。なお2007年7月に同社は、名古屋地方裁判所へ特別清算を申請している。また今後業務などを清算会社へ移行し、2007年度末に解散。桃花台線(とうかだいせん)は、愛知県小牧市のほぼ中央部にある小牧駅から同市東部にある桃花台ニュータウンの桃花台東...イナーの高架橋廃線跡が・・・ ⑪上末城跡:森下城ともいう。足利氏の末裔、落合将監勝正が築いたものである。勝正は文明年間(1469年~87年)の人物で子の安親は織田氏につかえた。天正小牧・長久手の合戦では、池田勝入らの三河侵入の道案内をしたという。 城跡の全容は明らかではないが、上末交差点の東南側に位置し、曲輪や堀、土塁の跡が、国道155号線からも見ることができる。⑫上末駅、入口は万能塀で閉鎖されている⑬三菱重工名古屋誘導推進システム製作所前⑭東田中駅、入口は万能塀で閉鎖されている ⑮三ツ山古墳群:かっては3基からなる古墳群で、国道155号線の拡張工事に伴い北側の2基について、昭和54年に発掘調査が実施された。 発掘の結果、2基とも一辺約20メートルほどの方墳で、墳頂部に割竹形木棺を埋葬し、銅鏡3面、鉄製の武器、農耕具を副葬していた。4世紀後半から5世紀前半にかけて築かれた古墳群で、市内では小木古墳群につぐ前期古墳群である。 現在は、調査されなかった3号墳のみが残る。なお、出土品は、小牧市歴史館に展示中である。⑯ピーチライナーと名鉄小牧線はここで交差し平行して小牧駅まで併走する。⑯名鉄小牧線、小牧原駅⑯名鉄小牧原駅より桃花台線を見る⑯桃花台線小牧原駅⑯桃花台線小牧原駅⑰高速道路を潜るため高架が下がって来ている⑰右、名鉄小牧線。左、ピーチライナー廃線⑰ピーチライナーの高架⑱右下名鉄小牧線。左上ピーチライナー廃線⑱左下名鉄小牧線、右上ピーチライナー廃線⑲道路の中央上を通るピーチライナーの高架橋⑲ピーチライナーはここでカーブしている⑲この駐車場の下に名鉄小牧線が通っている⑳小牧駅の下を潜る道路⑳桃花台線小牧駅 折り返しのループ⑳桃花台線小牧駅 折り返しのループ⑳桃花台線小牧駅⑳桃花台線小牧駅。名鉄側入口⑳桃花台線小牧駅。名鉄へ⑳桃花台線小牧駅入口は綺麗に塞がれている。戻る Copyright (C) 2008-2019 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』