豊橋鉄道田口線 関連ブログ・参考リンク
http://blogs.yahoo.co.jp/hideki_kobayakawa/62572563.html
2007年5月13日 鳳来寺を発車した清崎行モ15+モ14の2連、短い田代隧道を抜けると、間も無く田代川 橋梁を渡ります。その後、やや右手に 田口線健在当時の橋梁を使用して、現在は 道路橋として利用されています。1~2枚目の写真は、この写真右手側から撮影したこと になります。DNo.355-32・ . 青森の私鉄; 書庫 新潟の私鉄; 書庫
http://jiroaerop.mo-blog.jp/peanutscale/2011/06/dead-track-stat.html
今、どうなってるんだろ・・・ 豊橋鉄道田口線「三河田口」駅舎 2009年6月25日撮 田口線は飯田線の本長篠駅と設楽町を結ぶ鉄道。過疎化による収益の悪化、自然災害などに勝てず1968(昭和43)に廃線。 今も一緒・・・ 近鉄本線「黄金」駅
http://homepage3.nifty.com/haisentetsudouryou/026taguchi1.html
1932、12、22 清崎~三河田口間開業1956、10、1 豊橋鉄道田口線となる1965、9 、17 清崎~三河田口間休止1968、9、1 本長篠~三河田口間廃止 廃線跡の状況 全線に渡ってほぼ路盤が残っている。生活道路に転用されている区間が多い。 参考 文献
http://usa-nekosando.web.infoseek.co.jp/miti_taguti-top.html
【 豊橋鉄道田口線跡-トンネル群 】 全体図 ■ 愛知県鳳来町から設楽町田口まで繋いだ 、豊橋鉄道田口線。 1968年(昭和43年)に廃線となり、今ではその一部が、県道や町道 として利用されています。 それ以外の場所の軌道跡やトンネルは、山の中に埋もれる
http://www.kysd.net/taguchi.html
そして沿線の過疎化進行もあり、いっこうに向上しない田口線の成績を見て、昭和39年 、豊鉄は買収後10年を待たずして田口線廃止の意向を表明することとなる。 当然地元 自治体は反対の大合唱であったが、翌年9月、台風24号により清崎~三河田口間が
http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/taguti.html
豊橋鉄道 田口線 木材輸送を主に鳳来寺参拝客輸送も担う。豊川鉄道・鳳来寺鉄道と 協力関係にあり 規格も共通で、車両の乗り入れも実施。国鉄に買収されなかったが、 運行を国鉄に 委託、昭和31年10月豊橋鉄道に合併。昭和38年飯田線豊橋駅乗入れ 廃止
http://mat0213.blog17.fc2.com/blog-entry-642.html
今回の自己学習は「豊橋鉄道田口線跡」をたどることにした この「豊橋鉄道田口線」の歴史は、鉄道会社事情や自然災害によって翻弄され続け 約40年の運行を昭和43年をもっ 発達などで 他のローカル路線同様に衰退し廃線に至ったのだが いまだに地域住民から愛さ
http://blogs.yahoo.co.jp/hideki_kobayakawa/66842324.html
豊橋鉄道田口線は、私が 18 歳の夏に廃線になってしまいました。「線路が無くなってしまうから、撮影に行かなくっちゃ……」。廃止の決まった路線撮影の原点でした。職員さんの目を避けて、夢中で線路内を歩いたものです。
http://www.hotetu.net/haisen/Tokai/120929toyohashitetudoutaguchisen.html
2012年10月21日 豊橋鉄道田口線は、愛知県新城市(廃線当時は南設楽郡鳳来町)の本長篠駅(開業時は鳳来寺口駅)から北設楽郡設楽町の三河田口駅までを結んでいた豊橋鉄道の鉄道路線である。敷設の経緯などから1067mmの森林鉄道とも呼ばれた。
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_taguti-top.html
【 豊橋鉄道田口線跡-トンネル群 】 全体図 □ 愛知県鳳来町から設楽町田口まで繋いだ、豊橋鉄道田口線。 1968年(昭和43年)に廃線となり、今ではその一部が、県道や町道として利用されています。 それ以外の場所の軌道跡やトンネルは、山の中に埋もれるツ黴
http://blog.livedoor.jp/nantaireport/archives/37748028.html
かつて奥三河には、田口線という鉄道が存在した。すでに廃線となって久しく、終点の元・田口駅周辺はこんな感じだ。(2013年2月撮影)2013年時点では、田口駅のものと思われる残骸が残っていた。2014年3月に再訪すると、残骸が無くなっていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/negitama1go/63037055.html
豊橋鉄道田口線廃線跡を、追え!1968、9、1本長篠~三河田口間廃止の豊橋鉄道、田口線廃線跡を、東三河人と、2人で、散策しました!ただ、2人共、地元では、有りませんので、珍道中!行ったり来たりで、路線順では、ありません!あと何年かすると、三河田口が、ダムの底だ
https://ameblo.jp/photrip-drip/entry-12286045795.html
てパソコンに手を乗せるのが嫌なくらい暑いです。。 手汗が。。。。 さてさて、前回の続きです。全体的にこの記事は廃線ネタの中でもかなりイージーですね。。 千頭森林鉄道全線走破をした時が私の中で一番の過酷な探索でした。。 まだ水
http://omotabi.blog.fc2.com/blog-entry-213.html
廃線から40年以上経過した隧道。線路が跡形も無くなっても隧道だけははっきりとその姿を遺していました。きれいに草刈りされた
https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/40271467/
本日は旧豊橋鉄道田口線跡のうち、大井川橋梁跡付近から傘川橋梁跡までを歩いてきました。この辺りを初めて訪れたのは平成20年8月で9年前のこと。廃線・廃道歩きを趣味にしだして間もなくの頃になりますね。今回も前回と同じく新城市富保地区の県道32号の広い路肩に車を停めて出発です。ここに立っている砂防指定地の表示板の地図には、なぜか49年も前に廃止となった旧田口線が描かれています。古い地図を参考にして製作されたのでしょうか?さて、駐車場所付近から伸びる道を歩くこと数分、廃線跡に来ました。現地は昨晩に降った雨で下草はまだ濡れている状態。天候は晴天で高温多湿。承知の上で来ていますが、気が滅入るコンディションです…。まずは写真を撮らずに、一気に大井川橋梁跡を目指します。汗でずぶ濡れになりながら歩くこと約30分、土砂崩れに倒木と雑木が絡み合う場所に行く手を阻まれてしまいました。しばらく試行錯誤しましたがどうにも越えられず、大井川橋梁跡はあきらめて戻ることにしました。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/39337413/
本日最後に訪れたのは、旧東濃鉄道駄知線日帰隧道(駄知山隧道)。ネットで土岐市内や瑞浪市内の煉瓦アーチを検索していたらたくさんヒットした物件です。いろいろな方たちがブログなどで紹介しているので、場所の特定には全く困りませんでした(笑)。駐車場所だけ確保できれば、あっさりとトンネル前に行くことができます(もちろんちょっとした山道を下るので、運動靴は必須ですが。)。山道を降りてくる途中、落石防護柵の名残りと思われるレールが何本か斜面に突き刺さっています。トンネル前に到着しましたが、まずはトンネルとは反対側の線路跡を行けるところまで辿ってみます。結局、一切薮漕ぎすることなく、線路跡が一旦途切れる県道66号の真上まで行くことができました。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/40888034/
今日は、旧豊橋鉄道田口線跡に残る「麹坂隧道」へ行ってきました。トンネル前は倒木が多いですね。ぬかるみもひどいです。麹坂隧道の鳳来寺側です。延長は441.35m。緩くカーブしているため反対側の光は見えません。長いトンネルにお約束の退避坑。路盤には水が流れています。ようやく反対側の光が見えてきました。コンクリート覆工されているのは途中までで、中央部はほとんど素掘り区間となります。部分的にコンクリート覆工してます。水気が多いためなのかコンクリートの痛みが目立ちます。トンネル内は落盤が原因と思われる大きな岩石はほとんど転がっていませんが、ここだけ側壁部分が崩落していました。岩盤を削って造った退避坑みたいです。岩盤から受ける圧迫感が重々しいですね。玖老勢側へと出てきました。昭和初期のコンクリートトンネルらしく、味も素っ気もないデザインです。この先、県道32号との交差地点まで進みました。