旧・稲又川橋 関連ブログ・参考リンク
http://yamaiga.com/bridge/inamata/main2.html
2009年10月23日 橋梁レポート 旧稲又川橋. 橋があるのだから当然旧道があったはずなのだが、そんな 常識を嘲るように何も残っていない。 私は廃道に関する情報提供のほか、廃道の 魅力を詰め込んだコラム(10p少々)を執筆いたしました。なぜ私 . ただ、その当時の橋 が現存する廃橋であるかは、覚えていないというつれないお答えだった。
http://yamaiga.com/bridge/inamata/main.html
2009年10月23日 橋梁レポート 旧稲又川橋. 確かに手元の「全国森林鉄道 JTBキャンブックス 」は「稲 又森林鉄道」を文章付きで紹介している。 ただ、地図 . 私は廃道に関する情報提供の ほか、廃道の魅力を詰め込んだコラム(10p少々)を執筆いたしました。
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2010/12/post-5a72.html
2010年12月10日 【右】トラス構造の現稲又川橋の手前に、赤錆た旧稲又川橋が見えるよく見ると、この橋 は今にも落っこちそうじゃないか。 土手を降りて旧 【右】さらに下流側を探索すると、 おそらくは旧橋の一部であろう鉄骨の破片が。 君津・廃橋跡はこちら。
http://pcitorn-nitikaku.web.infoseek.co.jp/ikawaamehata1.html
八森隧道 千島隧道 旧稲又橋. 10分もしない内に、先ほどの予告にあった八森隧道に 到達する。 見てのとおり、並みの廃隧道でも無いほどの老朽化ぶりである。補修工事が 必要なのも頷けるが、この先の道の整備具合を思うと、ここまで放置されたのも謎だ。
http://blogs.yahoo.co.jp/takaratta1152/40337402.html
現橋は「稲又川橋」という銘版が付いており、昭和59年3月竣功である事もわかった。 なので、ここへ向かう道のレポの時からこの廃橋を「旧稲又川橋」という呼び方をしているが、正式にそういう名称であったのかどうかは不明だ。
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2014/04/post-8577.html
ここも山梨県早川町。雨畑湖を越え、さらに奥を走っている。下を流れているのは早川の支流・稲又川。三角トラスの銀色の橋は現行の「稲又川橋」で、その下に見える茶色いスクラップが廃橋となったまま放置されている「旧稲又川橋」になる。橋は以前と変わらない状況だったが、今回
http://half-a-boy-half-a-men.blogspot.jp/2017/06/2017-7w.html
旧稲又川橋見えました。落ちてませんね^^。さすが「落ちない橋」。上のシルバーの橋が現役の「稲又川橋」。ちなみに前回訪ねたのは、2010年7月27日。約7年前でした。そのときの画像がありました。撮影はKENKOの500万画素ムービーカメラ。現橋を渡って唯一の駐車
https://ameblo.jp/kotokotori-kotokotori/entry-12714648296.html
悪友のサイト「山さ行がねが」のこのレポートで存在を知った、落ちそうで落ちない旧稲又川橋。 いつからこの落ちそうで落ちない姿になったかはわからないが、いまの稲又川橋が昭和59年に竣功しお役ごめんとなってから、いままで落ちずにいた。 その橋が、なんと姿を消してしまった。 わたしがその事を知ったのは、Twitter上でどなたかのRTだった。驚き、そして、なんとなく愛着を感じていた橋だったので、これはと思い現地に確かめに行ってきた。
https://cocorano.info/blog/2021/12/07/21-12-05%E6%97%A7%EF%BC%9A%E7%A8%B2%E5%8F%88%E5%B7%9D%E6%A9%8B/
つい先日(12月2日)、Twitterの引用リツイートから驚愕のツイートを目にした。「旧稲又川橋が跡形もなく消えてました」