わかつき別邸は静岡県伊東市にあった温泉旅館。 元々この場所には、昭和初期に内閣総理大臣を二度つと....

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わかつき別邸 概要・歴史

わかつき別邸 画像

わかつき別邸(2022年6月)
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わかつき別邸
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「マップルマガジン伊豆1996年版」(昭文社、1996年3月)より
「マップルマガジン伊豆1996年版」(昭文社、1996年3月)より
「Uガイド16 伊豆」(昭文社、1988年4月第2版発行)より
「Uガイド16 伊豆」(昭文社、1988年4月第2版発行)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
『日本の宿13 伊豆・箱根の温泉宿』(JTB、1993年11月)より
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近くのスポット

わかつき別邸 ストリートビュー・空中写真

わかつき別邸 関連ブログ・参考リンク

若槻礼次郎と伊東~伊豆新聞より~|伊東温泉【ホテル暖香園】スタッフ日記
https://dnkoen.i-ra.jp/e552447.html
泉都伊東をこよなく愛しここに住んだ有名人も決して少なくなかったのであるが、総理大臣を経験した若槻礼次郎の存在は別けて異色である。彼は本姓を「奥村」といい、慶応2年、島根県松江藩士の生まれ、後に若槻家の養嗣子となった。明治25年東大法科を卒業後大蔵省入りし、累進して明治39年次官に進んだ。大正元年第三次桂太郎内閣の大蔵大臣となり、翌、立憲同志会に加藤高明とともに入党、大正3年第2次大隈重信内閣の大蔵大臣を勤め大正5年憲政会の創立に参加し副総裁となる。大正13年加藤内閣の内相を務め、加藤の死去により同年総裁におされ第1次若槻内閣を組織する。昭和2年金融恐慌が起こり、若槻内閣は台湾銀行の救済案を出したが否決され同年4月に辞職した。その後も多くの出来事には最善の力を注いでおりましたが、そんな若槻も83歳で没した。伊東では「若槻さん」と町民から呼ばれ親しまれていた。というのは若槻さんは昭和3年代に伊東に別荘をもった住民のひとりであったから。久須美区有文書の議事録に「若槻閣下本日伊東来遊、住民には各戸で日の丸を立て歓迎すること」等通達した記録がしばしば出て役場関係の人達の気遣いが感じられる。時に私服警官の活発な警備の様子もつきものであった。若槻邸は瓶山下の大川縁、旧「ひまわり苑」にあったのだが、惜しくも狩野川台風で大方の建物が流れてしまった。別荘建築の経緯については久須美の旧家で知られる大沼家に残る「大沼広吉」氏の手紙類を資料とした。広吉氏とは多分憲政会の党人としての関係で若槻さんと余程親しかったのであろう、彼が伊東別荘建築の話が始まったのが、昭和2年9月であったようだ。また大沼氏の資料には伊東の文化人であった山田省三、野田一枝、佐藤信太郎等若槻さんと親しかった各氏との書簡が残されているようです。別荘を伊東にもたなかった頃の若槻さんの伊東では宿泊先は「暖香園」を利用していたのであったが今のホテルのロビーに見事な筆で「暖香園」の書が掲げられている。これも若槻さんの文字である。
伊東温泉・ひまわり苑
http://www.ne.jp/asahi/omiya/yokohama/O.chubu3/itou5.html
伊東温泉   ひまわり苑   2000.2(入浴)   旅館ひまわり苑の全景 今日の湯巡り2軒目の「ホテルニュー岡部」を出て、再び車を運転して泊まる「水明荘」に帰ることにする。あと1軒ぐらい入ろうかどうしようかと思いながら、川沿いに走っていると、湯巡りの中に入っている「ひまわり苑」の看板が見えた。近づいてみると、かなり立派な旅館である。明治の政治家「若槻礼次郎」の別荘だったとかで、門構えもかなり重厚な雰囲気を持っていた。「要連絡」となっていたので、とりあえず旅館に帰って電話してみようと、水明荘の駐車場に車を停める。玄関に入り、フロントに人が居たので「ひまわり苑はなかなか立派な旅館ですね。」などと話をする。「湯巡りをされるのでしたら電話をしますよ。」と云ってくれたのでお願いするとOKだという。では、と今度は近くなので歩いて出かけることにする。 「ひまわり苑」は本格的な和風旅館の雰囲気を持っていた。広大な敷地の中に本館と離れを合わせて10室しかないというこぢんまりとした旅館だが門構えから玄関となかなかに立派な構えをしていた。玄関をはいり、「湯巡りをお願いします。」というと「どうぞ」と云って「女性用は館内で男性用は前の離れ屋です。」と案内してくれた。   離れという感じの湯屋   こざっぱりとした化粧台女性用の浴場は本館の中にあるというので、多分こちらの方に露天風呂があるのであろうと少しばかり残念な思いに浸りながら女房殿と分かれる。男性用湯殿は玄関から一度出て、30m位歩いたところにある離れ風の建物であった。「椿の湯」と名付けられているようだが、1m位の広さの入り口の柱に「湯処」という小さな看板が掛けられていて、    かなり豪華な感じの大浴場   女性用だった露天風呂その奥に大きな字で「ゆ」と書かれたのれん風のものがさげられている。中にはいると「今日深夜2時までは男性用です。」という張り紙がしてあったので朝交代するのであろう。脱衣場は広くはないが高級旅館らしくきちんとしていた。浴室は小さな旅館にしては十分すぎるくらい広いもので、2方がガラス窓になっていて、明るい感じである。窓の外はなかなか風情のある枯山水風庭園になっていた。幾つかの岩の間に白い玉砂利が敷き詰められている様は京都の寺院のそれを思い出させてくれる。浴槽はほぼ2m四方位のものが2つあり、1方はジェット風呂になっている。湯船に浸かってゆっくりと湯の感触を楽しむ。湯の温度は丁度良い。庭の一角から出ているという源泉をそのまま使っているのであろうか、柔らかい感じの良く暖まる泉質のようであった。無色透明、舐めてみると塩味がする。食塩泉なのであろう。湯に浸かりながら辺りを見渡す。   休憩室の凝った籐椅子浴室は全体的に焦げ茶色を基本的な色にしているのであろうか、壁や洗い場そして湯船など、下から1m位までは同じ色の御影石風のもので統一されていた。それから上は淡い黄色のタイル張りという感じである。排気が十分でないためか天井から壁まで水滴が垂れて、ガラスも曇り、外のなかなか風情のある枯山水風庭園の景色が見えづらくなっているのは、全体的な雰囲気が良いだけに残念である。枯山水の庭の一角に露天風呂を造ればよいのになどと勝手な事を考えながら、ゆっくりと内湯に浸かった。 風呂から上がり本館のロビーで暫く待ったが女房殿はなかなか出てきそうになかったので、先に帰ったと云うことをフロント係の人に頼んで、水明荘に帰ることにした。風呂上がりのそぞろ歩きは気分の良いものであるが、川沿いの道をゆっくりと旅館に向けて歩いた。    満足度:風呂*** 料理 部屋 接客  施設の概要  所在地 伊東市湯田町6-30   0557-36-8021  交通 ・JR東海道線伊東駅からタクシー5分     ・西湘バイパス→国道135号経由→伊東温泉  施設 浴室 大浴場 露天風呂(交代)     駐車場 10台   泉質 カルシウム-ナトリウム塩化物泉    度  効能 リューマチ・神経痛・疲労回復など  日帰り利用料金  不可
■ 伊東温泉 「伊東わかつき別邸」 -  関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
https://blog.goo.ne.jp/akizzz1/e/a53bdeeab8ba1b75c9d2000fcc478d7d
元首相・男爵若槻禮次の別邸だった純和風宿が2010年4月に閉館し、今年2012年4月にB&B/日帰り施設として再開したもの。
姫たま日記 伊東市街にドッグカフェオープンでちゅ その壱
http://angelian.blog54.fc2.com/blog-entry-603.html
 やさい Cafe Lounge わかつきさんです  これはわかつきさんの庭から見た青空 こちらです 元々は元首相の若槻礼次郎さんの別邸だったところを 旅館としてリニューアルした場所。 いつも通勤時に通っていたのだけれど 地元人の私としては敷居が高い「超高級旅館」っていうイメージだったのだけれども・・