久万小学校槙谷分校 関連ブログ・参考リンク
https://www.departure-ruins.com/kuma-makinotani/
久万(くま)小学校槙谷(まきのたに)分校。歴史は古く明治15年に開校。1990年に閉校となった。山奥の秘境集落の中にある。昔ながらの味わい深い木造校舎。この巨木は桜だろうか。草木に埋もれた「育英の碑 」は地元の方々により建立されたものらしい。正面口では椅子や机が日向ぼっこしている。背丈の高い草を掻き分けて到着。校舎は、長いこと放置されているようだ。構内は木の温もりがあふれる。この絵は当時のものではないだろう。何かに一度再利用されたようだ。
https://www.haikei-haikyo.jp/posts/26153405/
藤岡弘の出生地である自然豊かな久万高原町。そんな山奥の小さな集落に立派な木造校舎が残っている。今回の探検タイトルは「幻の廃校は実在した!槙谷分校の謎を追え!!」である。
http://henro.gozaru.jp/20-haikou/02-g/ehime/16-makitani/16-makitani.html
HOME > 全国の木造校舎 > 愛媛県「目次」 > 愛媛-16 久万小学校・槇谷分校 所 在 地 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生 撮影年月日 2019/8/2「久万小学校・槇谷分校」と四国遍路/愛媛県の木造校舎 愛媛県の木造校舎「久万小学校・槇谷分校」は、四国88箇所霊場・44番「大宝寺」~45番「岩屋寺」を歩き遍路した時に「槇谷」集落を通りました。 「大宝寺」~「岩屋寺」の遍路コースは二通りありますが、この「槇谷」を通る人は少なかったようです。 十数年ぶりに「槇谷」へ来てみると、集落へ通じる橋、地蔵が有る遍路道標、集会所の建物等、当時のままですが、当時は木造校舎に興味が無かったので「槇谷分校」の覚えが無く、「集会所」建物は道筋だったので、しっかり覚えており懐かしい。 「槇谷」集落は、もう人が住んでいないよおで、遍路当時は神社近くの家から犬がヤカマシク吠えまくってましたが、今は当然犬は居なく空き家になっており静かな集落です。 神社から少し上がった所に「岩屋寺」へ行く遍路道が有るので、行ってみると道は草が茂っており、ほとんど歩かれていないよおです。 そおじゃろなぁ・・・集落にだれも住まなくなったら、道普請で遍路道なんか除草する人が居なくなっちまうわなぁ、この遍路道もいつか廃れて忘れられるかもしれない。 槇谷分校を拝見すると、グランドは雑草が生い茂っていますが、校舎内は思った以上にキレイに整頓されており、生徒作品も残ってました。 ←前頁「翠小学校」へ 次頁「千原小学校」へ→ 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます以下、広告です。
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/mtakaba1/02sp-su/makinotani01.html
小さな校庭に車を止めると、本当にそこはもう、30年前にタイムスリップしたような空間です。昔の坊主狩りの子供達が今にも出てきそうな雰囲気です。 分校の校舎は木造二階建てで教室は4つあります。1回には職員室と教室。二階には一般教室と音楽室があります。 現在は、たまに木工品の教室が行われているのか、木片や丸太、木のおもちゃがいっぱい置いております。
https://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-12194419957.html
久万(くま)小学校槙谷(まきのたに)分校(1990年閉校)山奥の秘境集落、槙谷に木造校舎があると聞いて寄り道をしましたが、昔ながらの味わい深い木造校舎が残っており、感動しました。こじんまりとした2階建て校舎ですが、ピンクの柱で支えた正面玄関ポーチを始め堂々たるものです。今後もこのままの姿で残してほしいと思います。