石鎚保育所は愛媛県西条市(旧・石鎚村)にあった保育所。最終的には小松町立石鎚保育所となっていた。....

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石鎚保育所 概要・歴史

石鎚保育所 画像

加茂川を渡る橋
加茂川を渡る橋
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石鎚保育所(2022年2月)
石鎚保育所(2022年2月)
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かなり崩壊が進んでいる
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完全倒壊も時間の問題である
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石鎚保育所
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近くのスポット

石鎚保育所 ストリートビュー・空中写真

石鎚保育所 関連ブログ・参考リンク

土場(小松町)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/38.Ehime/Komatsu_Doba.html
      ◆土場(どば)※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「石鎚山」(昭和46.5)を使用したものである所在:西条市小松町石鎚(こまつちょういしづち)地形図:石鎚山/石鎚山形態:川沿いに建物が集まる標高:約250m訪問:2008年8月・2018年8月  大字石鎚の中東部、県道142号沿いで、道路沿いでは虎杖よりひとつ奥の集落。古い地図では地名の記載はなく、学校があるのみ。 かつて石鎚小学校・石鎚中学校があり、現在も道脇に門柱が残っている(写真1)。また有永への山道に続く橋を渡ったところには石鎚保育所(写真8)と霊園(写真9)があり、保育所には建物も残っている。 地名は木材の集積場所を指す「土場」より。中村の方の話では、木材を一時的に引き上げるのにちょうど良い場所だったそう。なお当時は川沿いの道路が狭隘だったため、車道ができるまでは加茂(かも)川に材木を流し下流まで運んでいたという。 なお木材を川べりまで下ろす作業を「○出○」と呼び、搬送が索道に替わるまで地元住民の良い日雇い仕事であった。川に流す作業を「木流し」といい、製材問屋の関係者が「流し子」として専業にしていた。 以下は町誌より、前身となる学校および当地以外での変遷を含めた学校の沿革。(小学校) (明治5) (各集落にて寺子屋式教育開始) (明治18) (槌之川にて闡明小学校開校) (明治20) (闡明小学校閉校) (明治41.7) (下途中之川にて千足山尋常小学校開校) (大正12.9.13) (郷に移転) (大正13.4) (千足山尋常高等小学校となる) 昭和4 土場に移転 昭和16 千足国民学校となる 昭和22 千足小学校となる 昭和30 石鎚小学校と改称 昭和52 閉校(中学校) 昭和22.4 千足中学校開校 昭和26.9.1 石鎚中学校と改称 昭和52 閉校 2018年再訪。特に大きな変化はないようだが、当地から前回未訪問であった石貝の南部に訪問することができた。十亀氏の頌徳碑(写真6)が登り口の目印。 写真1 学校門柱。左は「石鎚中學校」、右は「石鎚小學校」とある(以下2018年撮影。2008年はフィルム紛失のため写真なし)写真2 校地真3 校地の遊具と往時の建物写真4 校地の「皇太子殿下御降誕紀念」の碑写真5 造林記念碑写真6 十亀縫之進翁頌徳碑写真7 橋写真8 石鎚保育所写真9 霊園
石鎚村 有永集落から黒川道へ | ア-ルの写真記
https://ameblo.jp/ryu260701/entry-12025797697.html
橋を渡り、突き当たりを右に曲がり進むと「小松保育所」と刻まれた大きな門柱が突如現れた。小松町立石鎚保育所は昭和44年まで開園していたようだ。石鎚保育所前を通り越し登って行き、ゆっくりと有永集落を目指す。有永集落は昭40年まで村人が住んでいたそうだ。かれこれ廃集落になって50年ほどが経つ。石鎚保育所跡付近は、植林した杉の木が成長し、たくさんの大木が立ち並び、晴れた昼間でもうす暗い。保育園だった建物は後に養蚕組合の事務所として、少しの期間使われていたようだ。
お気楽アルプ日記 vol.2 : 石鎚保育所 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/danke_323/archives/815360.html
ここは  石鎚保育所跡 こんな今は誰も住んでない地域にも、保育所があったのか・・・建物は意外ときれいに残っていてびっくり!保育所にしては広い~どんなことして遊んでたんだろう・・・?