石貝集落(西条市) 関連ブログ・参考リンク
http://blog.livedoor.jp/danke_323/archives/1236142.html
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http://9.pro.tok2.com/~arajishi/ishizuchi/ishikai/190319.html
旧石鎚村石貝集落2007年03月19日05時18分03秒|ふるさと情報(石鎚地区)3月17日とても天気のいい土曜日。先日の雪で、山は真っ白。この日は、まだ行ったことがない旧石鎚村の石貝集落跡へ登ってみることにした。この集落へは、石鎚小学校・中学校跡付近から登る
http://blogs.yahoo.co.jp/frick000/9843525.html
周桑農協小松支所石鎚出張所跡今は、廃屋になっとる表から見るとトタンが張られた事務的な建物じゃが横に回ると、昔の宿場町の大きな宿風純和風でこいな家大好きじゃわ。農協跡地の横が、石鎚村役場の跡地。そこの奥には、生活用品や家電なんかが散乱。その中に、丸い穴の跡の空い
https://ameblo.jp/ryu260701/entry-12421525191.html
旧の石鎚村の石貝集落跡へは、2012年11月以来4度目の訪問である。今年,西日本各地に甚大な被害をもたらした台風の影響を,こちら四国の石鎚の山間のこの地区も少なからず受けてるようだ。いたるところで通行止めの看板が未だに立っている。歩いて登る山道の傷み具合が少々気になりながらの山行である。西条市の国道11号線の氷見から山手に向かって進み、黒瀬峠を車で越えると黒瀬ダムに突き当たる。右折してどんどん進み、極楽寺前を通り越していく。15分程で石鎚登山ロープウエイと石鎚村に行く分岐点に関門旅館の看板が掛かった河口という所に着く。大保木の下谷のロープウエイ乗り場がある方の左道に曲がらず、まっすぐにしばらく細めの道を進んで行くと数分で石鎚村役場があった虎杖集落跡に着く。これより奥は通行止めの看板が立っている。○○につき通行止めと書いてある。○○につきが消してある。行けない事はないが断崖の岩肌を削り作りあげた山道ゆえに、雨が降れば地盤が緩み、いつ何時崖崩れや落石が起こるかもしれないので通行止めにしてあるのだろう。
http://blog.livedoor.jp/haikouwataridori/archives/30949306.html
石鎚小学校前の山道を入っていく。道が凄く分かりにくいのだが、30分程ジグザグしながら登り続けて石垣を積んだ農地跡を見つけた。索道に使われるワイヤーも発見!あ!建物だ!!もちろん誰も住んでいない。辛うじて建っている感じ。
https://eto-nanaishi.hatenablog.com/entry/2019/10/12/182340
アルプさんのブログを見ていると、愛媛県西条市小松町石鎚の集落に立派な常夜灯があるらしい。お気楽アルプ日記 vol.2 : 石鎚村中村の常夜灯 - livedoor Blog(ブログ)実際に見てみたくなったので行ってみた。 諏訪神社前に車を駐車して、中村集落へと向かう。集落への登り口を少し行くと、光照寺がある。光照地を後にして、進んでいくと石橋があった。さらに進んでいくと、常夜灯があった。アルプさんのブログで見ていたが、実際に見るとすごい。山中にあるのもそうだが、集落に人がいなくなってからもずっとここにあったのか。アルプさんが来られた時はここから石鎚山が見えたそうだが、私が来たときは木々が生い茂り、見えなかった。この時は、この常夜灯の先の曽我部さんの家まで行って帰ってきた。 後日、アールさんのブログを見ると曽我部さん家の先にも常夜灯があるとのことなので、行ってみた。千足山村(石鎚村)の寺小屋跡を訪ねて | ア-ルの写真記曽我部さんの家を過ぎ、畑の脇を通り、川を渡る。
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/38.Ehime/Komatsu_Ishigai.html
◆石貝(いしがい)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「石鎚山」(昭和22.3)を使用したものである所在:西条市小松町石鎚(いしづち)字石貝地形図:石鎚山/石鎚山 形態:山中に家屋が集まる標高:約450~600m訪問:2008年8月・2018年8月 大字石鎚の中東部、加茂(かも)川左岸側で、虎杖の南西の山中にある。 2008年訪問時は槌之川より歩いたが、送電線付近の尾根を境に道が不明瞭となってしまう。しばらく歩くと石垣を見つけることができたが(屋敷跡?)、これ以上先に進むことはできなかった。土場 より斜面を登っていくほうがよさそう。なお尾根上には小さな貯水槽と石仏があった。 中村 の方の話では、かつては11軒の家があったという。諏訪神社の玉垣で、佐伯姓・十亀姓を確認。 『石鎚山の自然と人文』には、索道の敷設、緬羊の飼育、蒟蒻の栽培の開始といった変化を「近代化のきざし」と題し紹介している。 2018年再訪。まず前回同様槌之川より訪れ、道が不明瞭になった先で段々になった農地跡の他に1箇所の屋敷跡、比較的規模の大きな墓地(写真7)が確認できた。ここは上の地図画像で「石」の字の左上に当たる。墓地では曽我部・十亀といった姓を確認。ここから集落の南部を目指したが、道を失い到達できず。 改めて土場より登り、集落の南部に到達。複数の屋敷跡を確認した。屋敷跡の1箇所には「がけ地近接危険住宅事業」の看板(写真11)があるが、この事業により転出したものだろうか。またどこからか作業用のモノレールが通じており、現在は使用されている形跡がないものの比較的最近まで往来があったよう。 なお最近の地図に見られる虎杖付近から通じる道は、集落側からはそれらしいものが確認できるものの下方からは未確認。 (写真1 槌之川-石貝間の石仏・石塔。石塔には「四国卅九番寺山 本尊藥師如来」などとある)(以下北部)※ 以下2018年撮影。2008年はフィルム紛失のため写真なし(写真2 同。石塔には「本尊…」とある)写真3 農地跡写真4 何かの槽写真5 屋敷跡写真6 写真5にて写真7 墓地(写真8 南部への登り口にある「十亀縫之進翁頌徳碑」。土場 にて)(以下南部)写真9 屋敷跡に残る建物写真10 写真9母屋写真11 看板写真12 索道発着点?写真13 モノレールの軌条写真14 墓地写真15 農地跡写真16 遺構写真17 小屋写真18 モノレール軌条と倒潰した小屋写真19 屋敷跡