蓼科仙境都市 関連ブログ・参考リンク
http://lotno75.wp.xdomain.jp/2018/08/14/%e9%b9%bf%e6%9b%b2%e5%b7%9d%e6%9e%97%e9%81%93/
「これより蓼科仙境都市」と書いてあります蓼科仙境都市とは蓼科山近くに在る別荘地で、バブル期に立ち上がり現在は半ゴーストタウン化してます先ほど”廃墟マニア”と書きましたがここはまだ実働中ですしかし見た感じ一部廃墟化しているのは間違いないようですバブル崩壊の煽りで経営難に陥ったのかも知れませんが、このネーミングセンスは抜群だと私は思います崇高、脱俗界、幻、憧れ、などを連想させる素晴らしい発想です思わず購入してしまいそう、という可能性は私には無いですが(^_^;)
http://lotno75.wp.xdomain.jp/2020/06/13/%E3%81%82%E3%81%AE%E5%A4%8F%E4%BB%99%E5%A2%83%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%83%BB%E4%BC%9D%E8%AA%AC/
先日、蓼科仙境都市の記事にコメントいただいた方からメールが届きました当時の関係者の方で、状況を教えてほしいという私の要望に応えていただいたのです非常に詳細な内容だったので、是非ブログに掲載したいと申し出たところ快く了承してくださいました以下、ほぼ原文で掲載します ※写真は追加しました
https://yamaiga.com/road/kakumagawa/main8.html
あすの蓼科仙境都市を蓼科仙境都市以上が、無人の公園にあった塚状の構造物に埋め込まれていた、巨大な市民憲章碑文の全文である。「都市」に市民憲章は不可欠であり、これを見ることが出来た事で、仙境都市を体験したという確かな実感が得られた。これにて蓼科仙境都市を後にしまして、大河原峠へ向かいます。
https://minkara.carview.co.jp/userid/304619/blog/38465189/
センターラインのある片側1車線の登り道に青看板が立ってて、目的地である「蓼科仙境都市」は15kmとあります。途中、御泉水自然園で9kmを示し、残り5kmと言う所で分岐点に差し掛かりました。(この緑看板を目にした瞬間、震えがキタ)2車線だった道は目的地とは反対側に曲がり、仙境都市側は一気に1車線に。細いうねうね道を走ります。大河原峠の手前で「トキンの岩」って所が在るものの通過。大河原ヒュッテ付近で残り1kmに!
http://lotno75.wp.xdomain.jp/2021/09/09/%E4%BB%99%E5%A2%83%E9%83%BD%E5%B8%82/
蓼科仙境都市シリーズの続編ですきゃんさんから当時の写真を提供していただいたので掲載します説明文も一部引用していますもちろん紙の写真ですのでわざわざカメラで撮影してメールしてくださいましたなお、プライベートな写真ですので一部加工していますまず位置関係をザッと説明しておきます蓼科仙境都市は蓼科スカイライン沿いに何箇所かに分割して配置されていますA〜Dの4つのブロックに区分けしました
https://kiyosimo.hatenablog.com/entry/2017/12/23/175658
蓼科仙境都市とはなんぞや?蓼科仙境都市とは長野県の蓼科山にある蓼科ソサエティ倶楽部というところが経営する高級別荘地である。標高が非常に高いところに位置しており、最低でも1800m高いところだと2000m近くにあるそうだ。しかしそれが原因で現在は一部が廃墟になっている。
https://4travel.jp/travelogue/10719963
双子山の北山麓に現れた巨大なリゾートホテル「蓼科仙境都市」(写真)。玄関には「冬期閉鎖中」という看板が掛かっている。紅葉の絶好のシーズンでも閉鎖中?広いバルコニー(写真)からは絶景の眺めが楽しめる。
http://www.society-club.co.jp/index.html
https://masakun2022.seesaa.net/article/201607article_20.html
蓼科仙境都市とは、別荘地なのだが、あまりにも標高が高すぎて日本人には住めない・・・名前にあこがれて購入したはいいが、風雪厳しく、貴重過ぎる水、、、結局、家屋は放置され・・・すでに崩れかかっている・・・名前とは裏腹に不気味ですらある。
https://daihanrei.minorusan.net/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E5%B9%B3%E6%88%90%EF%BC%92%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%83%AF%EF%BC%89%EF%BC%96%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%94%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA
本件クラブ施設は、昭和五一年当時、一日八〇〇名から九〇〇名が宿泊できる程度の規模であったが、漸次施設の拡張が図られた結果、昭和五六年ころには、一時に二〇〇〇名以上の宿泊が可能となり、施設内のレストランも二箇所から六、七箇所に増設された。ところが、殆んど施設を利用しない会員もいたこと等から、本件クラブ施設の利用状況は、当初の見込みよりもかなり低目に推移した。一方、本件クラブ会員の間では、大型プール・体育館・サウナ等の新たな施設の設置を望む声も強かったため、被告富士は、昭和五六年一〇月ころ、新たに三〇〇〇口の会員を募集し、新会員からの入会金でこれら施設を増設する計画を立て、昭和五七年一月ころ、その旨会員に公表した。(二) ところが、昭和五七年八月ころ、会員の一部から右計画に反対する声が上がったため、被告富士は、理事らとも相談したうえ、同年一一月ころ、会員に対し、右計画についてのアンケート調査を実施した。その結果では、右計画に賛成する会員が反対する会員を上回ったが、右計画に反対する会員らによって「蓼科ソサエティメンバーズ友の会」(友の会)が組織され、その抗議運動が新聞や週刊誌に取り上げられる事態となったため、被告富士は、昭和五八年三月、右計画の中止を決定し、その旨会員に通知した。4 本件クラブの現在の状況(一) 友の会の運動が新聞等で報道されたことから、被告高島屋は、ダイレクトメール送付等による会員募集活動を中止し、金融機関によるローン提携も中止されるに至った。このような事情もあってか、その後本件会員権の売れ行きは伸び悩み、本件クラブ会員数は、昭和五八年五月当時で二五六六、同六一年九月三〇日当時で二五六三にとどまっていた。(二) 本件クラブ施設は、七月初旬から一〇月中旬までと冬期の間、会員らの利用に供されており、急な申込みがされた場合に空室がなく、また繁忙期には希望通りの部屋を予約できないこともあるものの、通常の余裕を持って予約しておけば、夏休み中でも十分利用可能な状況にある。また、被告富士は、非会員に対しても、本件クラブ施設の利用を認めているが、予め会員からの利用希望者数を見込んだうえで非会員からの予約を受け付けており、現実に会員の施設利用に支障を来したことはない。(三) 被告富士は、昭和五八年五月、伊藤忠商事株式会社から、本件クラブ施設所在地に隣接する山林を買い受け、「アソシエイツ」と称する預託金会員制クラブの運営を開始した。本件クラブ施設が子供や家族向け施設を中心としているのに対し、アソシエイツは、スキー場・サッカー場・モトクロス等、本件クラブにない設備を備えた若者向けの施設となっている。双方の会員は、相互に非会員としての資格で他方の施設を利用することができるとされているが、それぞれの会員の利用状況を見て受け容れの諾否が決せられていることもあって、これまで会員の利用に支障を来したことは一度もない。四被告富士に対する請求について
http://kntkyk.blog24.fc2.com/blog-entry-74.html
でなければ、なぜわざわざ2000m近い山を分け入って蓼科ソサエティクラブ(1976)の廃墟を探しに出かけたり、現存していた麻布第一タウンハウス(1974)を嬉々として『東京建築ガイドマップ』に載せたり(註1)、気づけば本棚にほぼ全著作が並んでいたりするだろうか?