奈川小学校入山(にゅうやま)分校は長野県松本市奈川(旧・南安曇郡奈川村)にあった分校。 1897(明....

奈川小学校入山分校

奈川小学校入山分校 概要・歴史

奈川小学校入山(にゅうやま)分校は長野県松本市奈川(旧・南安曇郡奈川村)にあった分校。 1897(明....

奈川小学校入山分校 画像

入山分校への道(2025年4月)
©東風東雲
門柱
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外観
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昇降口
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教室1
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教室2
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なぜかチェキッ娘の歌詞が書かれている
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オルガン
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奥の部屋
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炊事場
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分校下の建物
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分校入り口の廃屋
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分校北の廃屋
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奈川小学校入山分校 関連ブログ・参考リンク

http://tohsyouboy.blog.fc2.com/blog-entry-1334.html
奈川村立奈川小学校入山分校(現松本市)昭和44年(1969年)閉校。念願かなって見学。街道から山道を上って行くとかつての校門と出会える。
https://henro.gozaru.jp/20-haikou/02-g/nagano/38-iriyama/38-iriyama.html
 HOME > 全国の木造校舎「目次」 > 長野県「目次」 > 長野-38 奈川小学校・入山分校 所在地 長野県松本市奈川 撮影日 2024.5.30野麦峠越えの奈川小学校・入山分校 長野県の木造校舎「奈川小学校・入山分校」は、明治時代に幼い女工達が飛騨高山から松本へ向かって野麦峠を越えた山奥の宿場街にあります。 宿場街と言っても今は廃屋となった宿が数軒道端に残っているだけで、そこに「入山分校」が有り分校へ行く道には親切にも案内看板がたっています。 車を止める場所を探していた時、この分校入口付近に車が二台止まっており、地元の人かもしれんと思い、もう少し先へ行くと廃屋となった旅館が2軒ほどあり、明治時代の風情が有ったので写真を撮りました。 分校の所まで戻ると車は居なくなっており、ひょっとすると自分のように分校を見に来た人達かもしれない。 山道を少し歩くと校門が有り、その奥に絵になるような木造校舎がありました。  分校のトイレ扉に「東組」「西組」となっており、何でわざわざ分けて使用していたのか、わからん。 トイレ扉に「トイレから出たら手をあらう」という神が貼ってあり、これが唯一残った生徒作品のよおでした  ←前頁「志賀小学校」へ    長野県の木造校舎・廃校は、ここまでです。、
https://www.modellwagen.com/layout/layout-3.html
山の分校を観察する今回取材したのは、長野県南安曇郡奈川村の奈川小学校入山(にゅうやま)分校跡です。この入山集落というのは、飛騨高山と信州松本を結ぶ野麦街道(あの女工哀史で有名な)沿いにある宿場町で、かつては数軒の宿屋が軒を連ねていたそうです。が、自動車道路が別ルートで開通してからはすっかり廃れてしまい、今では住む人も殆ど居ない地になってしまいました。 旧街道から脇道に入って、小道を登ること約10分。ネコの額ほどの校庭の奥に、その分校はありました。取材:平成15年10月19日 奈川村奈川小学校入山分校跡写真をクリックして大きいサイズで御覧ください。 栗の実がそこここに落ちている小道を登ると、その分校はありました。門柱はタイルで装飾してあった形跡があり、その基部には「昭和八年七月」の文字が刻まれていました。 校門を入ると、山の上の分校です。ネコの額ほどの校庭の向こうに校舎が見えます。往時はどれだけの児童がこの学び舎を巣立って行ったのでしょうか? そのまま残されている教室。古いドアノブ。水飲み場。ふと目を閉じると、子供たちのはしゃぐ声が今にも聞こえてきそうです。 裏山の登ると、木立に囲まれた校舎が見えます。地図上左下がこの分校跡で、右上が宿場跡です。その宿場の松田屋。このような建物が数軒、街道沿いに放置されたままになっています。
https://x.com/evoevogta9/status/1830202929162363184
奈川小学校入山分校跡街道から山道を登って行くと校門が。一部崩壊していましたが、割ときれいに残ってました。入山集落はが怖くて早々に撤退したので、次は熊鈴装備でじっくりと散策してみたいですねー