丹原集落(たんばら - )は、広島県広島市安佐南区にある廃村集落。 今から約900年前に、有馬中将千賀...

丹原集落

丹原集落 概要・歴史

丹原集落(たんばら - )は、広島県広島市安佐南区にある廃村集落。 今から約900年前に、有馬中将千賀...
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丹原集落 ストリートビュー・空中写真

丹原集落 関連ブログ・参考リンク

http://nagao.road.jp/kokuken/r177.htm
ただし、県道の途中に点在する集落は太田川を渡って対岸の国道等と結ぶ橋が架かっ ているので、一部区間のみの利用が 最盛期には約30戸、150人が生活していたが、 昭和50年についに住む人がいなくなり、約900年の歴史に幕を下ろし、廃村となった。
http://hi_land.nce.buttobi.net/tanbara/01.htm
広島市の山奥に 「丹原の跡」 と言う 知る人ぞ知る廃村(廃集落かな?)があります。 その村は今から約900年前(西暦1100年)に、有馬中将千賀守が隠れ住んだのが 始まりと言われています。 その末裔である有馬一族が、昭和の時代までひっそりと 暮らしてい
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201111020070.html
4 日前 道中には滝や集落跡を記録した碑もある。 同地区には約900年前に集落が誕生。戦前 は多い時で約30世帯160人が住む村だったが、1973年に人が住まなくなり廃村となっ た。 企画は、住民らが元住民の手記「ふるさと丹原」を読んだのが
http://www.nagao.road.jp/kokuken/r177.htm
ただし、県道の途中に点在する集落は太田川を渡って対岸の国道等と結ぶ橋が架かっ ているので、一部区間のみの利用がほとんどで、通しで県道 ここから高山川を上流に さかのぼると宇賀ダムというダムがあり、さらにその上流には美濃からの落人の子孫 に当たる人々が住む丹原という集落があった。最盛期には約30戸、150人が生活してい たが、昭和50年についに住む人がいなくなり、約900年の歴史に幕を下ろし、廃村となっ た。
http://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/search/article/item/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2FvZGVudGFrdS8zMjYyNDAxNi5odG1s
伝説の廃村、丹原集落跡へ向かう。;;倒木が多く、車はあきらめ徒歩にて向かう。ぬかるみと雨と戦いながらの登山。薄暗く、苔むす谷あいの道を進み、見事な滝を越えたその
https://blogs.yahoo.co.jp/aodentaku/32624016.html
伝説の廃村、丹原集落跡へ向かう。倒木が多く、車はあきらめ徒歩にて向かう。ぬかるみと雨と戦いながらの登山。薄暗く、苔むす谷あいの道を進み、見事な滝を越えたその
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/34.Hiroshima/Asaminami_Tanbara.html
◆丹原(たんばら)※この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「加計」(昭和22.2)を使用したものである所在:広島市安佐南区沼田町阿戸(ぬまたちょうあと)地形図:坪野/加計形態:谷沿いに家屋が集まる標高:約460m訪問:2013年5月大字阿戸の北西部
http://fm1401.fc2web.com/tabi140907/tabi140907.htm
安佐南区の廃集落 『丹原の跡』 を訪ねて戻る2014年9月7日(日)   いつだったか、武田山グループのHさんから丹原を歩いたトラックデータが送られてきた。戸山公民館主催の丹原散策に参加したときのデータだろう。それ以来『丹原』の2文字が頭をよぎっていたが、ようやく探訪の機会が巡ってきた。今日は安佐北区宇賀から丹原に入り安佐南区戸山に抜けるロングコースを設定し、早朝に自宅近くのバス停から三段峡行きのバスに乗り槇原バス停で下車して、宇賀大橋を渡り宇賀峡へと入っていく。【工程】槇原バス停(7:20)~宇賀ダム堰堤(7:40)~ダム湖最奥部(8:00)~(8:55)地蔵尊堂(9:00)~高山分れ三差路(9:10)~(9:50)丹原石碑(9:55)~丹原集落跡地~林道終点(10:15)~(11:05)きゅうりはだ峠(12:00)~林道大馬地線起点(12:25)~天皇原バス停(13:05)~(14:15)幸の神バス停太田川に架かる宇賀大橋を渡る昨日から降っていた雨は予報通り未明には上がり今は曇り空で雨や日差しを気にせず歩ける。宇賀ダム堰堤を過ぎると人家はなくなり山間の峡谷を花を探しながら奥へと進んでいく。勝手知ったる宇賀峡だが、休憩予定のお堂がなかなか現れないので、まだだったかのう?と思い始めた頃ようやくお堂が見えてきた。どなたかが掃除に来られるんだろう。綺麗に掃き清められている。予定通りここで休憩する。雨上がりの宇賀ダム湖地蔵尊堂地蔵尊堂から10分で道が二分するが、今日は丹原を訪れるので左に進む。上空に送電線が走っていて送電鉄塔の巡回路が右に左にと分岐する。その先は俄然、道が荒れてきた。周囲はスギ林で、廃車道に沿ってコンクリート電柱が並び400V低圧配電線が架線されているが、いまでは電気は供給されていないと思う。コンクリート橋を右岸、左岸、右岸と三度渡ると傾斜が増してきた。三差路(左:丹原 右:高山)最初の橋を渡った先丹原に入る手前は急な道が続くので心配していたが、コンクリートで固められた高巻き道だったので安心した。ただし、路面がぬめっていて滑るのには往生した。右手に豪快に流れ落ちる権現滝の落ち口まで上ると平坦...きて歩き易くなった。ただ路面は雨水に洗われていて車の通行は不可能だ。それでも林道終点から200mくらい進むと舗装路に変わってきた。荒れているのは末端部分だけだった。丹原の集落の所在地は安佐北区ではなくて、安佐南区だ。そのためなのか?安佐南区沼田町戸山から林道が上ってきていて、さらに標高660m台のきゅうりはだ峠から林道丹原線が丹原の集落奥地に向けて下っている。しかし、この林道は何の目的で造られたんだろうか?林道丹原線の終点林道をダラダラ登っていくと谷を隔てて左手に赤白鉄塔が見えてきた。何だか展望がありそうな予感がする。林道が平坦になるとようやく、きゅうりはだ峠に着いた。そこには『林道丹原線』と記された白い標柱が建っていて、丹原線が分岐するところに夏草に覆われた踏み跡が谷に下っていた。今の時期は歩きたくない道です。峠で左折して、赤白鉄塔の建っている方向(右の写真の①)に歩いていく。ダラダラ林道歩きが続くきゅうりはだ峠尾根を乗り越したところで鉄塔保守道に入り尾根を一直線に登っていくと赤白鉄塔に着いた。ヒノキが邪魔をするが、北西に、林道が山腹を走っている阿弥陀山が見える。そして遥か彼方に吉和冠山が…今日は空気の透明度が高いので遠くまで見える。鉄塔の後ろから山に入ると5分ほどで3等三角点の鎮座する大平(基準点名)に上る。判っていたことだが、周囲はスギ林で全く展望は無い。91号鉄塔と阿弥陀山基準点名(大平)きゅうりはだ峠まで戻って、さてどうするか?地形図に記載の破線径を下ってみたが余りにもイバラが茂っているので諦めて再び峠まで戻った。今日はヤブ山歩きを目的としている訳ではないので無理をせず車道を下ることにした。峠から25分で『林道大馬地線』の起点の三差路まで下ってきた。そこから上方に見える送電鉄塔に向けて谷道が上っているように見えるが気の所為かもしれない。さらに下っていき戸山カントリークラブの入口を左に過ごすと県道が近づいてきた。記憶では毎時6分くらいにバスが通過すると思っていたので、その時間に合わせて下っていったが、情けなや記憶違いで、天皇原バス停の発車時間は毎時57分だった。炎天下の下50分もの長い時間バスを待つのは、やりきれないので県道を久地通りまで歩いて幸の神バス停からバスに乗って帰った。天皇原バス停付近の様子SEO
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