東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡) 概要・歴史

東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所は埼玉県深谷市櫛挽にある旧軍施設跡。「櫛引の弾薬庫跡」等として紹介されていることもある。

畑の中にコンクリート剥き出しの二階建て遺構が残る。

1943(昭和18)年頃に東京板橋にあった東京第二陸軍造兵廠の疎開先施設として建設されたらしいが、詳細不明。弾薬工場跡とも弾薬庫跡とも言われる。

状態
2018年12月14日 更新

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東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡) 住所

埼玉県深谷市櫛挽

東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡) 種類

軍事施設・戦争遺構

東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡) 画像・写真

東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡)
東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡)
東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡)
東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡)
東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡)

東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡) ストリートビュー・空中写真

東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所(深谷市櫛挽の弾薬工場跡) ブログ・リポート

くろべぇの廃墟:東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所-livedoorBlog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/kurobee_ruins/archives/2242727.html
常時訪問1943年、東京の空襲に備え板橋製造所の疎開先として建てられた、東京第二陸軍造兵廠櫛引製造所の火薬工場の跡。全盛期には大小350棟に及ぶ建造物があったそうだが、現在残る痕跡はこの火薬工場と、この場所から1キロほど離れた場所にある倉庫に転用されたコンクリ
畑の中にむきだしコンクリ建物が@深谷 : 路上観察で発見!埼玉県のナイス物件
http://blog.livedoor.jp/jitterk/archives/61491841.html
北海道みたいな光景だ、と思ってしまいました。でもちがう。北海道にあるのはサイロとか言って牧草の貯蔵庫だし。これは廃屋というよりつくりかけの建物が、完成されずに放置されたような感じ。深谷市櫛挽85あたり。
櫛引の弾薬庫跡 | か~み~の地球が遊び場!!
https://ameblo.jp/lascelles2/entry-11994881989.html
どうも!鎖骨のくぼみに水を貯め続けて1年…遂にボウフラをわかすことに成功し特許出願中のか~み~(セミのぬけがらコレクター)です。そんなことはさておき!結構前になるんですが、ひょんな事から深谷方面に行くことになり…ついでだから何か無いものか?と調べたらあるじゃな
第651話 埼玉・深谷市、櫛挽の弾薬庫跡編☆『次はオマエダ』:居酒屋けいば:So-netブログ
http://izakaya-keiba.blog.so-net.ne.jp/2014-02-12
広大な畑には何とも似つかわしくない建物がポツンと目の前に姿を現した。自分も含め皆『!?マーク』を頭の上に浮かべ、いつのまにか少し小走りに駆け寄っていた。『何すかコレ!?何かだだっ広い畑にめっちゃ似合わねー不思議な建物っす(е゜д゜е)』琴音が言うように、とても
深谷市櫛引の弾薬庫跡に登れました ( 自転車 ) - FreeFlight 21 みんなのBLOG - Yahoo!ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/ff21group/40178817.html
今までに何度か訪問しておりました深谷市櫛引の弾薬庫跡に来ました。何度か建物内部を探検したいものだと遠くから眺めておりました。一時期は牛フンが周辺を広く覆い、臭気とともにぬかるんでいて近づけない状態でしたが、乾燥した状態が続いたためか、わき道から10mくらい歩い
戦後の開拓地ー埼玉県深谷市櫛挽 - キカクブ日誌
https://blog.goo.ne.jp/travel_diary/e/5bb24d9fdcbb1da06b831951dbee0ac4
畑の中にポツンと残る、戦時中の工場建物。これはコンクリート作りだから残ってるけど、多くは木造だったと思われます。開拓はじめの頃は、開拓小屋として使ったのかもしれませんね。今に至るまで残してあるのは何故なんでしょうね。土地の人に聞いてみたいと思いました。

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