熊本陸軍飛行場(健軍飛行場) 概要・歴史

熊本陸軍飛行場健軍飛行場)は熊本県熊本市にあった空港。

健軍飛行場は三菱重工業熊本航空機製作所の試験飛行場として1943(昭和18)年12月に完成。1945(昭和20)年3月8日、陸軍の作戦飛行場に転用され「熊本陸軍飛行場」となる。97式重爆撃機を主体とした飛行第60戦隊が配備された。

既に米軍に占領されていた沖縄の北飛行場(読谷飛行場)と中飛行場(嘉手納飛行場)に強硬着陸し破壊する「義烈空挺隊」の計画が立てられ、その出撃基地となっていた。

終戦後、米軍の連絡飛行場として使用された後、1956(昭和31)年から空港の建設が開始。1960(昭和35)年、熊本空港として開港。1971(昭和46)年、現・熊本空港に移転、旧。熊本空港は閉港した。

現在、跡地は住宅地等になっており、痕跡はほぼみられない。地図位置に旧軍時代の掩体壕跡が残っていたが、2015年頃解体された。

状態
2019年04月01日 更新

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熊本陸軍飛行場(健軍飛行場) 住所

熊本県熊本市東区長嶺西

熊本陸軍飛行場(健軍飛行場) 種類

空港・飛行場

熊本陸軍飛行場(健軍飛行場) 画像・写真

熊本陸軍飛行場(健軍飛行場)
1948(昭和23)年当時の熊本陸軍飛行場(健軍飛行場)跡

熊本陸軍飛行場(健軍飛行場) ストリートビュー・空中写真

熊本陸軍飛行場(健軍飛行場) ブログ・リポート

大日本者神國也 -熊本陸軍飛行場(三菱重工業熊本航空機製作所 試験
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1033.html
31日、南苑飛行場に移動しますが、12月26日、海軍(第一・第二聯合航空隊、九六陸攻63機)と合同での支那奥地進攻(第三次)のため運城飛行場へ移動、26・27・28日、蘭州を爆撃(百號作戰)します。 昭和15(1940)年1月8日、南苑 31日、9月1日、武昌飛行場に移動し重慶・大波口製鉄所を爆撃、7日...
旧熊本空港(陸軍熊本/健軍飛行場)跡地:空港探索・2:So-netブログ
https://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/kumamoto-closed-airport
この「旧熊本空港」、大戦中は陸軍の「熊本飛行場」、「健軍飛行場」でした。そしてこの飛行場のすぐ南側に三菱重工熊本航空機製作所があり、重爆撃機「飛龍」を生産していました。防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九
悲哀・・・健軍飛行場と義烈空挺隊 - まめ八のブログ | GAZOO.com
http://gazoo.com/my/sites/0001457380/mamehachi/Lists/Posts/Post.aspx?ID=406
まめ八が住んでいる家から1kmほど離れた場所に、まめ八が小学校の2年生のころまで熊本空港がありました。当時はこの空港の事を健軍飛行場と呼んでいた記憶があります。この健軍飛行場は、太平洋戦争が始まった昭和16年に三菱重工業熊本航空機製作所が建設された際に作られた
健軍飛行場の掩体壕 | 九州ヘリテージ フィールドノート
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=552345
前回紹介した旧三菱重工熊本航空機製作所の北側には、付属の飛行場ともいえる陸軍の健軍飛行場があり、工場で生産された重爆撃「飛龍」の1号機もここから飛び立っています。終戦後は「旧熊本空港」となり、昭和46年に現在地である益城町に移転するまで民間の空港として使われて

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