近藤産婦人科 関連ブログ・参考リンク
http://yokanwatcher.dtiblog.com/blog-entry-171.html
◇旧近藤産婦人科医院(旧料亭旭楼)◇◇大分県杵築市◇◇2008年8月18日◇1930年代竣工木造2階建杵築市北台の武家屋敷群から少し離れた昔の花街の一角にある旧医院。元々は料亭として建てられた建物を戦後産婦人科医院に転用したものだ。現在は空家のようだ。隣接して
http://blog.goo.ne.jp/es_2011/e/ec345b4a472dc3e56ce9d7a4d457807b
旧近藤産婦人科医院(旧旭楼)明治30年同上
http://deepannai.info/kitsuki-yuukaku/
そこから先に行くと眼前に異様な風貌の三階建ての妓楼が現れる。手前の土地が空き地になっているので遠くからもよく見えるのだ。武家屋敷ゾーンにある中で負けじと豪勢に建てたのだろうが明らかにジャンルが違っている。さらに建物をアップで見てみると建物は和風ベースで丸い飾り
http://atelier-ring-arch.jp/column/5846/
さて、今回の杵築での目玉が、旧近藤産婦人科(旧料亭旭屋)の建築を見ることでした。写真は、西面の、擬洋風的なファサードです。実は、Iさんは、ここの住人だった時期があり、インターネット上に手記を掲載されています。こちら。かつては九州でも有数の木造三階建ての料亭で、
https://www.departure-ruins.com/posts/7113921/
1897年築の木造建築と大変古い。元々は九州でも有名な料亭「旭桜」であり、後に近藤産婦人科に転用され、1988年まで現役だった。向かって右が近藤産婦人科。左は後に増築された鉄筋コンクリートの入院病棟。一歩入ると何とも雅な中庭。おおよそ産婦人科とは思えない造り。築120年は凄いよ。明治、大正、昭和を駆け抜けた。近代日本を共に歩んできた。戦前戦後期に活躍したオペラ歌手藤原義江が、幼少期に芸者の母親と一時期身を寄せていたことでも知られる。歴史的建築物に畏敬の念を感じる。病院の待合室。空気の抜けた航空機がペコーン。型番はJA8530(日本航空1976~1997年)だった。診察室。テーブルシートに昭和62年元旦の写真付き年賀状が残っていた。医院長さんご一家だろうか。
https://www.departure-ruins.com/kondou-sanfujinka/
1897年築の木造建築と大変古い。元々は九州でも有名な料亭「旭桜」であり、後に近藤産婦人科に転用され、1988年まで現役だった。