城山隧道は神奈川県相模原市緑区の水道隧道。 道志川の水を横浜まで送るため、1914(大正3)年に設置....

城山隧道

城山隧道 概要・歴史

城山隧道は神奈川県相模原市緑区の水道隧道。 道志川の水を横浜まで送るため、1914(大正3)年に設置....

城山隧道 画像

城山隧道(2018年10月)
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城山隧道 関連ブログ・参考リンク

https://gijyutu.com/ohki/tanken/isan2006/yokohama-suidou/shiroyama/shiroyama.htm
産業技術遺産探訪 2006.6.10./6.17./8.1.横浜水道城山隧道管路ずい道長さ 4358.5m高さ   2.80m幅    3.04m煉瓦造トンネル・石造坑門42インチ(1050mm)の鍛接鋼管(ドイツ・マンネスマン社製)を日本で初めて使用1914(大正3)年竣工近代水道百選神奈川県相模原市津久井町青山(旧 津久井郡津久井町青山)城山ずい道髙さ 2.80m×巾 3.04m×延長 4358mレンガ巻 馬蹄型 管路ずい道 道志川の水を横浜まで送るため大正3年(1914年)に設けられた管路ずい道で、当時わが国では2番目に長いトンネルでした。 内部には、内径900mmと1050mmの管が敷設されています。1050mmの鍛接鋼管(ドイツマンネスマン社製)は、わが国で初めて使用されたもので、現在も水を送り続けています。        (近代水道百選施設) 横浜水道創設(明治18年4月起工、明治20年9月竣工)および第1期拡張工事(明治30年4月起工、明治31年6月竣工)以来の導水管が道志川と相模川河岸の断崖部分に敷設されていたため豪雨のたびに導水管が寸断される事故が続発しました。こうした事故を避けるための導水路を新たにつくるため、第2期拡張工事(明治43年8月起工、大正4年3月竣工)として「城山隧道」が築造されました。トンネルの内部の導水管には、日本ではじめて鍛接鋼管(ドイツのマンネスマン製管会社製、内径42インチ(1050mm))が使用されました。またトンネルの長さ4358.5mは、当時、国鉄(現在のJR)中央本線「笹子隧道(笹子トンネル)」の長さ4656mに次ぐ日本で2番目に長いトンネルでした。1923(大正12)年の関東大震災では、内部に布設した内径42インチ(1050mm)導水管には被害はなく、隧道は拱頂部分の煉瓦が損傷したり、起拱点部分の拱と側壁が接合する箇所に水平のひび割れが生じたため、被害箇所の煉瓦の巻き直し行い補修しました。)  1941(昭和16)年には、新たに内径800mmも鉄筋コンクリート管が布設されましたが、1974(昭和49)年に内径900mmの鋼管へ敷設しなおされました。当初(1914(大正3)年)敷設された内径1050mm(42インチ)の鍛接鋼管は、現在も道志川水源の水を送り続けています。 右側の導水管が当初(1914(大正3)年)敷設された内径1050mm(42インチ)の鍛接鋼管で、現在も道志川水源の水を送り続けています。 左側の導水管は1974(昭和49)年に敷設された内径900mm鋼管です。これは1941(昭和16)年に敷設された内径800mm鉄筋コンクリート管を撤去して敷設しなおした導水管です。鍛接鋼管 マンネスマン製管会社(ドイツ・デュセルドルフ市)の製品で、横浜水道・第2回拡張工事で築造した「城山隧道」(長さ4358.5m)内の導水管に日本で最初に使用された内径1050mm(42インチ)の鍛接鋼管です。 城山隧道の坑内が長く狭いため、当時は重量物の運搬が不便であり、万一、導水管が破裂した場合に修理が困難なことから、比較的軽量で破損の恐れの少なく、鋳鉄管より安価な「鍛接鋼管」を使用しました。 敷設に際しては、内務省から設計時の寸法より管厚を厚くすることと、防錆塗装を十分にするように指示されたといわれています。横浜水道技術資料館近代水道百選 1987(昭和62)年は、1887(明治20)年に横浜市に日本で初めての近代水道が誕生してからちょうど100周年になります。そこで、厚生省(現在の厚生労働省)の企画により、この100年間に建設された全国の水道施設の中から、近代水道史的に、水道技術史的に、環境景観的にみて価値あるものを検討して、1985(昭和60)年5月に「近代水道百選」が選定されました。 横浜市からは、「水道創設記念噴水塔」、「旧 三井用水取入口」、「旧 青山取入口と沈殿池」、「城山隧道」の4箇所が選ばれました。近代水道百選委員会 委員長 小林 重一企画 厚生省水道環境部 主催 日本水道新聞社 後援 (社)日本水道協会産業技術遺産探訪~横浜水道  産業技術遺産探訪  技術のわくわく探検記  技術科@スクール
http://www.sagamihara-kng.ed.jp/kouminkan/sagamidai-k/texts_2/bunnkazai%20wo%20tazunete/aoyama%20chinndenike%2012/aoyama%20chinndenike.html
 相模台地区の真ん中を東西に伸びる「横浜水道みち緑道」。普段は地域の格好の散歩道となっているこの下には、津久井の道志川を水源とする横浜市への水道管・横浜水道が流れています。この横浜水道は、明治の初め横浜開港に伴う爆発的な人口急増に対する水道供給を確保するため、明治20年、英国人H.S.パーマー氏の設計監修により日本最初の近代式水道として誕生しました。 創設時の取水口は、相模川と道志川の合流地点(現在の相模原市緑区三井)にありましたが、明治30年、高低差を利用した自然流下方式で送れる現在の青山に移されました。大正4年には、新たに「鮑子取水口」「青山沈殿池」「城山隧道」などが設けられ、現在の形になっています。 道志川の水は、横浜の発展を支え人々の暮らしを潤す貴重な水源です。「赤道を越えても腐らない」と外国航路の船乗りたちに賞賛された水もこの水源でした。道志川から取水された水は、沈殿池で濁りを取り除きトンネル(隧道)や2本の管路で1日約17万㎥の水を、約29km先の横浜市の川井浄水場に送っています。(猪俣達夫)横浜水道の水源となっている道志川の流れ 道志川から取水された水はこの「青山隧道」に一旦引き込まれる1915(大正4)年、導水管2本が設置された「城山隧道」(国登録有形文化財)満々と清流に満たされた沈殿池。ここで入念に濾過される創設当初の沈殿池。当時の方式を伝える貴重な施設遺産(現在は使われていない) 創設当初より使われている管理棟。建物としての風格を残している
http://doushigawa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html
2月28日(木)晴れ、城山隧道の竪坑と横坑の探索に行って来ました。きっかけは去年8月7日に横浜市開港記念会館で開催の横浜市水道局主催近代水道創設125年記念講演会に出席して「町中に残っている竪坑」のことを知ったからです。あくる日の8日に早速探索に行くも見つからず、たまたま崖下へ下りる道を見つけて城山隧道の第2横坑を発見しました。探索探訪記(其の30城山隧道・横坑を見つけました)は8月14日に投稿しましたので参照願います。今回は(其の30城山隧道・横坑を・・)の続きになります。暖かく天気が良かったので急に思い立って行って来ました。津久井湖岸の花の苑地第2駐車場からスタートしました。