旧和田山機関庫 関連ブログ・参考リンク
https://hardcandy.exblog.jp/19147774/
朝来市の中心駅和田山駅の北側、線路際の空地に古い煉瓦建造物が残されています。この建物は明治45年に機関庫として建てられ、その後倉庫として使われました。明治末期に播但線と山陰本線の接続駅となった和田山駅は山陰・播磨・京都大阪方面の三方を結ぶ拠点として重要な役割を担います。これに併せて和田山駅の構内には機関庫、転車台、給水塔等の施設や管理建物が建てられ、規模は小さいものの機関支区としての概要が整えられます。この機関庫は両線が交わった明治44年の翌年に竣工、以来80年に渡り県北部の鉄道網の支えとしての勤めを果たしました。煉瓦造平屋建て、切妻屋根の当時の標準的な煉瓦建物。南面の東半分を手前に張出します。バットレスで区切られた各面には縦長のアーチ窓を配し、窓の上部を切石で飾っています。両側の妻面に2線のアーチ形開口部が並びます。西面の開口部はシャッターで閉ざされていますが、東面は空け放たれた状態。内部を窺う事が出来ます。
https://www.histrip.jp/170527hyogo-wadayama-5/
1912年に機関庫として建てられた旧和田山機関庫煉瓦倉庫跡。その後約80年もの間、明治の終わりから播但線と山陰本線の接続駅としての機能を果たす施設として使われました。赤レンガやアーチ形の窓など、趣を感じる建物です。また、近くには自然の営みを意識した農園もあります。風情あるJR和田山駅周辺をゆるりと旅しましょう。
http://ogino.c.ooco.jp/gijutu/wadaym.htm
「和田山駅」は、JR山陰本線と播但線の終点の駅で、この駅の構内に旧機関庫が残っている。機関庫は、煉瓦造り、切妻屋根の建物で、1912年(明治45年)に建造されたものである。2本の引き込み線路を持ち、車両の下にもぐって点検できるような溝が作られている。1991年(平成3年)3月まで使用されていたが、現在は倉庫になっている。 和田山駅は、1906年4月1日に開業した。播但線は元々1894年(明治27年)に開業した播但鉄道が発展したもので、1903年(明治36年)6月に山陽鉄道が播但鉄道の全路線を譲り受け、1906年(明治39年)4月に新井~和田山間の開通によって、現在の播但線が全通した。 以下のウェブには、当時の国鉄マンの話も掲載されており、興味深い。
http://tajima2000nenkatsura.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-feaf.html
天空の城◇竹田城に鉄道で訪れる人が、乗り換えの和田山駅で発する一言、「あの廃墟は、何?」ホームから見える屋根のないレンガ造りの建物に注目が集まっています。私は、和田山駅レンガ機関庫跡。1912(明治45)年生まれ、老いぼれの鉄道遺産です。(コチラ)100歳をこえ、少々、年老いた「和田山駅レンガ機関庫跡」。保存活用方法として、ひとつの提案があります。それは、鉄道模型のレンガ機関庫の実物大をイメージし、「あえて、何も足さず、ありのままの姿を見せる。」という方法。近年、廃墟ガールや、工場萌えなど、廃墟や工場に魅せられる女子が出現しています。レンガの傷や、看板などは、そのまま保存します。機関庫の役割を見せるため、ドックにレールを引き込み、D51などの蒸気機関車があれば、往時を偲ぶことができると思います。耐震補強を兼ね、黒い鉄骨の回廊をめぐらし、様々な角度から機関庫跡を見学できるようにするという案です。一段高い回廊や、ドックの底から、蒸気機関車を見ることができればおもしろいと思います。
https://pontaman7.hatenablog.jp/entry/2018/06/03/214921
これは「旧和田山駅機関庫」です。以前は車庫として使われていました。現在では、倉庫として使われているとあります。しかし、屋根もはがれ落ちているし、窓も割られている状態で、とても倉庫とは思いません。
https://tanshin-kikin.jp/tajima/614
1906年(明治39)、播但鉄道(現JR播但線)が延長され、竹田駅・和田山駅が誕生しました。1911年(明治44)には、和田山と福知山を結ぶ福和線(現JR山陰本線の一部)が開通し、和田山駅は両線の接続駅となり、翌1912年(明治45)、機関庫と給水塔・転車台、引き込み線などの付属施設が建設されました。現在倉庫として利用されている機関庫は、1991年(平成3)までのおよそ80年間にわたり、蒸気機関車やディーゼル機関車の点検修理などのための施設として利用されてきたものです。建物は切妻屋根をもつ煉瓦造平屋建で、機関車引き込み線は2線を有し、両妻面に設けられた各2カ所の開口部は石造半円型アーチになっています。赤煉瓦の壁面を縁取るように設けられた御影石の白がアクセントとなっており、全国においても数少ない煉瓦造りの機関庫です。
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/wadayama/wadayama.html
和田山・生野越えの蒸気機関車和田山・生野越え①和田山 1971(昭和46)年4月1日煉瓦の機関庫が素敵な和田山機関区です。正式には、豊岡機関区和田山支区と呼ぶそうですが、豊岡より風格のある機関庫でした。和田山は、山陰線と播但線の分岐点で、播但線用の蒸気機関車C57と生野越え用の補助機関車に使われていたDD54がいました。和田山の機関庫前で小休止のC57です。陽が傾き、逆光で煙と光が良い感じです。ナンバープレートがピカピカに磨かれていると逆光でも綺麗に写ります。機関庫の中のほうきで掃く姿も良いアクセントになっており、私のお気に入りです。和田山・生野越え②和田山 1971(S46).4.1煉瓦造りの機関庫を順光・アップで撮りました。機関庫を西から見ました。右に給炭所と給水塔があり、その更に右に和田山駅がありました。 和田山・生野越え③和田山 1971(S46).4.1DD54形ディーゼル機関車です。後ろに大きな給水塔がありました。上の写真②の少し右から撮りました。 和田山・生野越え④和田山 1971(S46).4.1一つ上の写真②の機関庫の中から西を見ました。煉瓦のアーチの向こうにC57が2両います。左側がC57 95号です(下の写真)。逆方向から見ると、一番上の①の写真です。和田山・生野越え⑤和田山 1971(S46).4.1斜め後ろから光を浴びたC57 95号のサイドビューです。和田山・生野越え⑥和田山 1971(S46).4.1転車台の上のC57 189号です。写真をよく見ると、車輪の位置が転車台の長さギリギリいっぱいのところにあります。機関士は、転車台の上で停めるのに苦労したと思います。転車台は、上の写真⑤の右側、一番外れの位置にありました。 和田山・生野越え⑦ 豊岡機関区 1971(S46).4.1和田山機関支区を見学する前に、豊岡機関区にも寄りました。ここには、集煙装置付きのC57もいました。C57に集煙装置はチョット似合わないかな?この日は、朝、天橋立...播但線は、貨物列車もC57が牽引していました。和田山・生野越え⑪生野~新井 1971(S46).4.2生野から、新井方面の峠に向かいました。峠を通り越し、新井から峠に向かう列車を待ちました。C57の引く旅客列車が、真っ黒の煙をもくもく上げながら来ました。煙が多すぎるのもありがた迷惑ですね。ないよりはましですが。和田山・生野越え⑫ 生野~新井 1971(S46).4.2次の貨物列車は、DD54の前補機付でした。先頭がディーゼル機関車では・・・ 今となっては、これも時代の一コマですが。生野越えは、⑪⑫の2本撮って引き上げました。↓和田山・生野越え⑬ 生野~新井 1971(S46).4.2 上の写真⑫の続きです。 風向きが悪く。煙で機関車が隠れてしまいました。播但線・生野~新井と、明神電車の地図国土地理院1:200,000「姫路」S49.6.30発行より左図の右下に国鉄生野駅があり、そのすぐ上(北)のトンネルが、生野越えの峠のトンネルです。国鉄新井駅からバスに乗って神子畑へ行けば、明延~神子畑の一円電車が走っていた時代でした。(播但線の列車本数も、バスの本数も少ない時代でしたが)運賃一円で便乗できる「一円電車」は雑誌などで紹介され有名で、私も知っていましたが、この頃は、ナローの魅力にまだ目覚めておらず、全く残念なことに訪問せず終わってしまいました。「明神電車」をこのとき訪問していれば・・・と、今でも悔やんでいます。「全国鉱山鉄道」岡本憲之著・JTBキャンブックス2001発行によりますと、明延鉱山が閉山になったのは1987(S62)年ですから、その後も行こうと思えば行けたのに、結局行かずじまいでした。⑭史跡・生野銀山 1998(H10).8.2上の写真から27年後に生野へ行き、観光化された「史跡・生野銀山」を見学しました。その駐車場に、明延~神子畑の鉱山電車が保存されていました。⑮ 朝来 道の駅 1998(H10).8.2生野の近くに「朝来」道の駅があり、そこにも明延の一円電車が展示してありました。一円電車については、2018(H30)年4月20日に「明延・明神電車」をアップしました。ご覧ください。 2011(H23).9.11up
https://ameblo.jp/bashou008/entry-12500917233.html
大阪出張の寄り道旅の続きです。姫路駅から65.7km、JR播但線に乗って終着駅の和田山駅に来ました。出張先の大阪に向かうべきなのに、逆に大阪からはだんだんと遠ざかってしまいました。和田山駅構内には、1912(明治45)年に造られた「旧和田山機関庫」の赤煉瓦の建物が残っています。近年まで車両倉庫として利用されていましたが、1991(平成3)年に廃止となりました。ホームから鉄道ファンが何人か写真を撮っていました。
https://www.chin-tetsu.com/article/5813
そんな和田山駅には鉄道ファンが大喜びしそうなものがあるんです。かつて駅の北側には機関区がありました。いまでは線路もすっかり取り払われていますが、そこにあるレンガ造りの大きな建物、それが「旧和田山駅機関庫」です。