https://yamaaruki.sakura.ne.jp/11/110508-hikimi.htm
匹見下公民館を過ぎると、澄川小学校・中学校の寄宿舎跡があり、売却・貸付予定物件となっていた。鳥獣犬慰霊之碑辺りから字名を田屋ノ原(タヤノハラ)と呼ぶ。匹見川が三出原でくの字に曲がる辺りである。高台は旧澄川小学校である。階段を上がって澄川トンネル出口のかじか橋に出た。
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000004887/2-499.pdf
1965年頃、匹見町立澄川小学校6年のS君の書いた作文がある。それを読むと、「近所の若い人が次々都会に出るので、集落が潰れかかっていると思う。でも、僕たちも将来同じことを繰り返すのだろうか。僕たちがテレビで見る都会は楽しそうだが、匹見は楽しくない。テレビを見る限り都会では簡単に幸せ