桐谷小学校 関連ブログ・参考リンク
https://www.departure-ruins.com/kiridani-sho/
桐谷(きりだに)小学校。田園風景の広がる長閑な集落の中に位置する。昭和58年に近隣の下笹原小学校に吸収合併され廃校となった。驚いた。部分的にすっぽり校舎が全壊している。渡り廊下のようになっていた鉄の扉が半開きだ。
https://akiranngo.hateblo.jp/entry/2018/11/27/161112
桐谷小学校は集落を走る主要道路沿いに位置し、昭和58年に近隣の下笹原小学校に吸収合併され、その下笹原小学校も平成15年、近隣の多くの学校と共に八尾小学校へと統合されました。昭和58年と言えば35年前ですから、僕が産まれる9年前には既に廃校となっていたんですね。
http://tohsyouboy.blog.fc2.com/blog-entry-288.html
八尾町立桐谷小学校。(現富山市)昭和58年(1983年)下笹原小学校に統合の為、閉校。八尾小学校のHPにしっかり記述されている。関係各位には是非とも見習っていただきたいw見えない相手にお願い中 笑
https://akiranngo.hateblo.jp/entry/2019/05/16/102746
旧桐谷小学校。 富山・岐阜県境側には数多くの山村があるが、筋のように入り乱れる峰々に阻まれ、相互往来が非常に困難である。豪雪により冬季通行が制限されることもしばしば起こる。富山県市街地から1時間ほど走らせた先にある桐谷集落もその1つだ。
https://bunanomori.com/yatuo/kaze/letter08.html
2007.09.12Update雪の中、八尾の桐谷の仕事場を訪ねる。八尾の中心街に比べると、倍以上も雪が積もった学校の校庭は広々としていた。背景に広がる森、木造の大きな校舎、里山と見事に調和した空間だ。作品を創造するに相応しい場がそこにある。古川 通泰さん[アトリエにて]古川 通泰[ふるかわ・みちやす]一九四〇年富山県高岡市生まれ。一九八二年より画業に専念。一九八七年現代美術選抜展招待出品。一九九〇年にニューヨークで初の個展を行い、以後ドイツフランクフルトやベルリンでも個展を開催。一九九四年より、八尾桐谷で創作活動を行う。二〇〇九年三月永眠。 -- 坂のまちアートには、ずっと継続してお越しいただいています。八尾に最初にお見えになられたのはいつ頃ですか。古川さん◆一九九三年の秋かな。その前から何度か遊びには来とったんですよ。その頃に印象に残っていたのは、グラウンドの真ん中に車を乗り入れたら、ばあちゃんに「あんた、何しにこんなとこに車入れたがや」と言われた。「静かなとこやに、何とおとろしいとこやな!」と、思ったら、真ん中にマムシがとぐろを巻いとった。 -- 親切心で言われていたんですね。海外が長かったんですか。古川さん◆長いんじゃなく、展覧会が一九九〇年にニューヨークで二ケ月半ほど、その後、ドイツのフランクフルトと、その三年後くらいにベルリンで二ケ月半ほど。フランクフルト、ベルリンを合わせて、ドイツで半年ほど滞在しました。 この世界には、高岡でサラリーマンをしていたのを辞めて、四十一才で入りました。生活できないから、新聞配達や八百屋の配達、子ども相手の月謝泥棒をやって二年半ほど過ごし、「こんなことをしておったんでは、サラリーマンを辞めた意味が無い」と、女房に「とにかく銭を集めて欲しい」と言って、その金でスペインへ行った。 絵描きさんは、みんなフランス、パリと言っていたが、なぜかスペイン。初めての飛行機、初めての外国で、何日間いられるのかも分からない。言葉が通じない所に行って、それでも絵を描きたいかどうか確かめたかった。女房にはそんなことを言ったら申し訳なかったから、「なに...家が少しずつ変わってるのも、町家の人の力が強いから。仮に僕ら作り手の方が強い意見を出すようになったら、存続は難しいでしょうけれどね。 場所を提供してもらわんことには成らん展覧会や。そしたら、その人たちにスダレを提供して、花を飾ってもろうたらどうや?と、野の花展のアイディアは雑談の中で出たね。「花を取りに行かんなん」とか言うから、「そういう発想がアートやないか」と。その辺が千年会議の皆さんは非常に柔軟だね。 -- 野の花展も、住民の皆さんのアートになってきていますよね。古川さん◆飾り言葉でなく住民参加やと思う。町家の提供はできなくても、花を生けることなら私らもやりますよ、と、典型的に住民の意見の方が強いのが、八尾の場合は表れている。そのうち、「あんたたちがくれる篭とか竹はしょうもない」と、花器も自分で考えるようになった。これがアートの原点やと思いますね。 -- 僕らもきっかけづくりぐらいに考えています。自分等で飾っていただいて、本物になってきたなと思いますね。古川さん◆会場として提供される町家があれだけの数あるのは、極端な言い方をすれば、世界でも無いがじゃないかな、と思う。坂のまちアートの季節野の花展で町民も参加 -- 実際、お客さんから、「作品も面白いけど、町家の家も面白い」と言われます。提供してる人にしたら、家にとってのハレの日かもしれませんね。普通、お祭りに座敷を開放してお客様をもてなす、というパターンはあるけれど、それとは別に家を開放する、ハレの日です。古川さん◆京都の祇園祭りでも、座敷を開放しているのはそんな軒数があるわけじゃない。これだけの家がやるというのは、普通考えられん。見に来た人からすると、全く知りもせん家に上がれる。人の生活を覗くという喜びがある。 -- 好奇心を満たす場ですね。これは、八尾の人が基本的にウエルカムだからですよね。古川さん◆お祭りは、本当に平等になるがやちゃ。その時だけは人間の仮面を外せる気がしますね。私は特に、自分の絵のイメージも含めてやけど、こんなに合致したものはないような気がするね。[・・・以上、八尾風便り[三](2002年発行)掲載分より抜粋して抄録]聞き手:高峰博保[グルーヴィ]、田代忠之[八尾町商工会]●他の「手仕事・職人・ものづくりの心」を見る→風便りWeb版トップへもどる