水島臨海鉄道西埠頭線 関連ブログ・参考リンク
https://ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-12253344289.html
水島本線三菱自工前駅と西埠頭駅を結んでいた貨物線ほんまは現役線やけど、長らく使用されていないようなので廃線ということにしとく2016年7月15日、正式に廃止されたらしい
https://puppuku.blog.ss-blog.jp/2016-10-22
今週水島の近くに行く用事があったので、久々にお気に入りのディープスポットの西埠頭駅に寄って見るとそこにはショッキングな光景が広がっていました。なんと!! 駅入り口の海岸通二丁目踏切が無くなっていました。 (´;ω;`)フ゛ワッ
https://dt6110.web.fc2.com/fumikiri/shitetu/mizusima.html
水島臨海鉄道駅ビルの2-3階は巨大な駐輪場。しかも無料。水島本線倉敷市0K289M阿知倉敷市阿知1地図0K997M村東道倉敷市老松町5地図1K184M八田井倉敷市老松町5地図1K737M安江倉敷市安江地図第一四十瀬倉敷市四十瀬地図2K025M四十瀬倉敷市四十瀬地図球場前2K335M水江倉敷市中島地図西富井-福井4K631M福井団地倉敷市福井地図4K680M福井倉敷市福井地図5K113M吉川倉敷市福井地図5K423M五軒屋倉敷市福田町浦田地図浦田5K729M第二五軒屋倉敷市福田町浦田地図6K021M天理教前倉敷市福田町浦田地図6K371M石屋谷倉敷市福田町浦田地図弥生-水島10K291M臨港第一倉敷市水島海岸通2地図10K471M自工前倉敷市水島海岸通2地図三菱自工前10K713M菱光倉敷市水島海岸通2地図11K662M川鉄前倉敷市水島川崎通1地図倉敷貨物ターミナル 弥生-水島間は平成4年に高架化されましたので、幹線との交叉は立体化され、残る踏切はJR並走区間と浦田付近のみになりました。水島自工以降は留置線になるのですが、その先は線路がはがされて貨物輸送の任を解かれておりました。(2007/08/13・12/30)左の線路は現役だが、右はすぐ先でなくなり、役目を終えている。港東線水島2K321M東鉄正門前倉敷市南畝4地図2K993M板敷倉敷市潮通3地図3K292M三菱化成倉敷市潮通3元は複線だったが、奥の線は既に剥がされてます。地図東水島 東水島駅はJR貨物のコンテナ基地として現役ですが、南下する路線は三菱化成の敷地内へ入る前に終点となり、ほとんど役目を終えています。三菱化成踏切も、もう列車が通過する事はないでしょう。(2007/12/30)三菱自工前駅より180度反転して西埠頭へと別れます。西埠頭線三菱自工前0K249M臨港第二倉敷市水島海岸通2地図0K327M公園倉敷市水島海岸通2遮断棒は取り去られ、遮断機のみとなっている。地図0K499M海岸通二丁目倉敷市水島海岸通2歩道側の遮断棒のみ寂しく残っています。地図西埠頭 もともとは日赤三菱石油へ伸びる貨物線でしたが、敷地内に入る寸前で鉄路はなくなっています。西埠頭駅自体も扱う貨物もなく遮断棒まで撤去されていますが、遮断機自体はあまり古さを感じさせる物ではなく、休止も近年に行われたように思います。(2007/12/31)Powered by FC2ホームページ
http://furattorail.web.fc2.com/mizusima.htm
水島臨海鉄道 撮 影 = 1991年4月 場 所 = 西埠頭 備 考 = ウヤの日が多い西埠頭線ですが運良くこの日はかなりの長編でやってきました。隣に東タ常備のコキ10000がありました。 撮 影 = 1991年4月 場 所 = 水島 備 考 = 以前は栄にヤードがあったのですがこの当時はなくなって倉敷貨物ターミナル~東水島の列車で水島で折り返し、有効長の足りない列車のみ栄まで行っていたような気がします。 撮 影 = 1991年4月 場 所 = 水島~東水島 備 考 = 上と同じ列車です。倉敷貨物ターミナル~東水島の列車は機回ししなくていいようプッシュプルになっていました。 撮 影 = 1991年4月 場 所 = 東水島付近の専用線 備 考 = 午前中1回、東水島に着いたコンテナを受け取りにやってくるDB。 撮 影 = 1991年4月 場 所 = 東水島付近の専用線 備 考 = 午後は水臨のDDが直接工場まで牽引します。 撮 影 = 1991年4月 場 所 = 水島~東水島 備 考 = 専用線の地点から東水島を出てゆく列車を撮影。白黒はコダックT-MAXで固い調子にあげるのか好きでした。(撮影行のエピソード)まだ四国に住んでいた頃、福山で仕事の帰りに下調べをして撮影に行きました。ところが大雨であまりいい仕上がりにはなりませんでした。その後、何回か福山の行き帰り立ち寄って撮影しました。その頃は友人宅に共同の暗室もあったので、白黒も撮影していました。BACKPowered by FC2ホームページ
http://rail2.web.fc2.com/rail/mizushima/mizushima.htm
水島臨海鉄道 7月に32年ぶりの乗車。目的は国鉄色キハ20に乗ることである。7月には全線乗ったわけではないがキハ20に乗ることができたよかった。2013年、久留里線で使用されていたキハ37形3両、キハ38形1両、キハ30形2両が譲渡され、2014年春運用が開始される予定である。路線 水島本線 倉敷市-三菱自工前-倉敷貨物ターミナル 11.2km 旅客営業は三菱自工前まで 港東線 水島-東水島 3.6km(貨物線) 西埠頭線 三菱自工前-西埠頭 0.8km(貨物線)沿革 1942(昭和17)年 専用鉄道免許状下付 1943(昭和18)年 三菱重工水島航空機製作所専用鉄道として 倉敷-水島航空機製作所(現三菱自工前)間開業 1970(昭和45)年 国鉄および倉敷市などの出資により水島臨海鉄道設立 倉敷市交通局より市営鉄道全線を譲り受け営業開始 1972(昭和47)年 水島-三菱自工前間の旅客営業開始 1983(昭和58)年 倉敷市 - 倉敷貨物ターミナル間を水島本線、 三菱自工前 - 西埠頭間を西埠頭線に改称。 1992(平成4)年 浦田駅 - 三菱自工前駅間、港東線の一部を高架化。2013年7月31日撮影使用カメラ Nikon D40Xモノクロ1981年5月使用カメラ ミノルタXE使用フィルム コダック・プラスX倉敷市JR倉敷駅南口を出て右側にある。駐輪場の1階が駅である。倉敷市路線図には運賃の他所要時間も書いてあり親切だ。列車本数は1時間に2~3本とわりと多いほうだ。倉敷市キハ20の運用時間は決まっていて朝と夕方だけである。これは夕方の列車。乗降は多いほうだと思う。倉敷市方はキハ203。元国鉄キハ20338。水島色だったが2003年、赤穂線開業40周年でJRに貸し出す際に国鉄色になった。西富井短いわりには交換可能駅は西富井・弥生・水島と3つもある。この車両は新潟鐵工所製MRT300形305、306(後)。ひまわりの絵がラッピングされており、愛称「ひまわり号」。浦田反対側はキハ205、元国鉄キハ20321。キハ20形は1086年から1991年にかけて国鉄、JR四国より12両購入。浦田駅ではテッチャンが大勢降りた。浦田キハ20形はすでに8両廃車されている。キハ37、38の運用が始まると残った4両も廃車の運命にある?浦田1988年開業の駅。私が初めて乗ったときはまだなかった駅だ。浦田このときの乗車では時間の都合で浦田から折り返し。これはキハ300形301。倉敷市途中の西富井で大勢乗ってきた。高校生とか看護学校の学生?とか。倉敷市ここから1981年撮影。「4月7日祝倉敷駅前のり入れ開業」という立て看がある。以前はもうちょっと西側にあった。私が乗ったのは移転1ヶ月後だった。水島後ろの貨車は○○3000と読めるが詳細は不明。三菱自工前旅客列車の終点。周辺は工場地帯で歩き回るようなところではなかった。場所不明1kmのキロポストはあるのだがどこの駅かわからない。ただこういう写真を撮っているので三菱自工前だろうと思う。キロポストは港東線か西埠頭線関係かもしれない。たぶん三菱自工前キハ35形354。1976年から80年にかけて国鉄から譲り受けたキハ10形。国鉄のキハ35とは無関係。この354は1989年に廃車されている。なおキハ35形は1989年に形式消滅。ギャラリー弐番館トップへRAILギャラリートップへPowered by FC2ホームページ
https://senrohaichi.blog.fc2.com/blog-entry-56.html
西埠頭駅のほうはもう十年以上定期列車が設定されていないそうで、線路が残っているだけの状態です。現在でも、まだ路線の廃止にはなっていないようですが。