多摩弾薬庫(多摩火薬製造所)は、東京都稲城市にあった旧軍施設。 1938(昭和13)年、大日本帝国陸軍....

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名称 多摩弾薬庫(多摩火薬製造所)
住所 東京都稲城市向陽台
種類 軍事施設・戦争遺構
東京都の軍事施設・戦争遺構
スコア
★★★★★★★★★★★ 47
現況 現存
評価 ■■
画像 photos 多摩弾薬庫(多摩火薬製...の写真

多摩弾薬庫(多摩火薬製造所) 概要・歴史

米軍施設内に残る戦前の火薬製造工場

多摩弾薬庫(多摩火薬製造所)は、東京都稲城市にあった旧軍施設。

1938(昭和13)年、大日本帝国陸軍の造兵廠火工廠板橋製造所多摩分工場(多摩火薬製造所)として、当時の稲城村大丸に開設された。

1939(昭和14)年9月時点で敷地面積284,039坪、従業員数883名で、炸薬や伝火薬筒(炸薬と信管の中間にあって爆発を媒介するもの)が主に製造された。

その後順次拡大を続け、終戦時には敷地面積523,464坪、従業員数は2,085名にも達した。

終戦後、1945(昭和20)年9月にGHQが駐留を始め、翌1946(昭和21)年11月には接収され空軍の弾薬庫として使用された。

その後米軍横田基地のレクリエーション施設「在日米軍多摩サービス補助施設」として使用されるようになり、ゴルフ場やキャンプ場が設置されている。敷地内には旧火薬製造所の遺構が点在している。

米軍施設内のため、通常は立ち入り出来ない。

付近の大丸公園には昭和期に撮影された弾薬庫の写真が案内板に展示されている。

多摩弾薬庫(多摩火薬製造所) 画像

大丸公園に展示されている多摩弾薬庫の写真(2022年9月)
大丸公園に展示されている多摩弾薬庫の写真(2022年9月)
提供画像 転載禁止
多摩弾薬庫(多摩火薬製造所)
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多摩弾薬庫(多摩火薬製造所)
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1960年代の空中写真では製造施設跡がまだはっきりと確認できる
1960年代の空中写真では製造施設跡がまだはっきりと確認できる
©国土地理院

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