http://blogs.yahoo.co.jp/kitikitiboon/46117085.html
国道17号で渋川市の坂東橋の渋滞を通過中に、よそ見運転をしながらトロトロ~トロトロ~と走っていると、河の護岸低めの位置にポッカリと大きい目の穴が見える。「ん?線路か?」いやいや、あんなトコに電車の路線は無い。「戦争遺構か!?」
http://blogs.yahoo.co.jp/kitikitiboon/46136510.html
ヤフウの地図を勝手に転用します。ごめんなさい。で、この地図を見ると、ご指摘いただいたとおり、「排水トンネル」の可能性がもっともであると裏付けされました。ちゃんと、新しい現行の水力発電の水を放流している地下水路の点線が表記されてます。きっと、この古い長さ50メー
https://www.takayama-onsen.org/haikyo/seiroku/seiroku.html
清六新道さて、久々の更新です。「清六新道」とありますが、隧道(トンネル)がメインとなっています。廃墟というより、遺構ですが・・・。国道17号板東橋から対岸に見える この清六新道、ローカルな人は絶対知っている場所だとおもいます。が、中がどうなってるのか知ってる人は数少ないと思います。夏になる前に撮影に行って来ました。清六新道の入り口です。ちょうど田口発電所の取水口の上あたりでしょうか。舗装路は途切れて竹林が・・・一応、獣道的な感じで歩けることは歩けますが、中腰の姿勢のまま前に前進しないと進めません・・・。(↑竹林ですから(意味深)竹林を越えて行くと開けた場所に出てきます。すると、前方に口をぽっかり開けた隧道が見えてきました。開けた場所といっても、草ぼうぼうで歩きにくいことには替わり有りません・・・昔はもっと草木が少なくて、真夏でもない限り板東橋からトンネルのポータルがよく見えたのですが、今では春先でも藪に包まれて板東橋や対岸からは見え難くなってます。トンネルのポータル部分が欠落しているのが解ると思います。相変わらず藪・・・さて、ようやくたどり着いたわけです・・・コンクリート製のトンネルなのですが、ポータルの部分が石積み状になってるのが解ると思います。(画像クリックで拡大画像が表示されます)奥の方のトンネル自体は中で崩落しているわけではなさそうです。右上の部分に白いもんが数本突き出してますが、これ、碍子です・・・。電線でも中に張ってたのでしょうか。欠落箇所いよいよ内部です。至ってフツーのトンネル・・・ちょうど真ん中当たりから入ってきた側を撮影。このトンネル、ちょうど「へ」の字型に曲がっており、だいたい100mくらいの長さです。しかし、ラクガキが多いですねぇ・・・1998、11/8(日)和美 樋口だそうです(笑)八木━━━━━━━スキダ━━━━━━━って・・・相合い傘まで書いちゃって、もうおちゃめさん( ´∀`)σ)´Д`)1998 H9 10.10までは判別できますが・・・1年ずれてないかい・・・?そうこうしているうちに反対側の口が見えてきました。たぶん、見たことの有る方は数少ない裏側の口です。ポータルが無惨にも欠落している上、半分埋もれた状態・・・。熊の平の某隧道よりは埋もれてなかったです(謎)ちょっと離れたところから遠目で。反対側の口の脇にも・・・が、碍子本体が無くて碍子を支えてた鉄筋だけが飛び出してます。反対側の口から板東橋側に向けて撮影。「へ」の字型に曲がってるのが解ると思います。あ、オーブが映ってる(wさて、廃墟というか、遺構ということで今回撮影してきましたが、このトンネル、実は明治初期に作られたとのことです。詳細は町田さんのWebページ内に ある、北橘村について-北橘村Q&A内に記載されてます。明治初期に作られ、放棄されたトンネルが、未だに崩れやすい崖の下で口を構えているので、いつ崩落し、消滅するか解りません・・・。利根川が大増水して流されると言うことも無きにしも非ずです。(そうなったら対岸の加○土○や南○川教○所も水没するでしょうけど・・・)[戻る]
http://rance.sblo.jp/article/178748466.html
廃トンネルこれは清六新道と呼ばれる明治期の道路を、佐久発電所工事の時に拡張工事をしたときに作られたトンネルです。2004年にこのトンネルに潜り込んだことがありましたが、その時からポータルは半分欠損してました。ただ、それより前、30年くらい昔はまだ左側のポータルが残っていた記憶があります。その間に斜面崩落に巻き込まれて欠落したと思われます。-----------ここからちょっと2004年に撮った清六新道トンネルの写真