http://blogs.yahoo.co.jp/kitakyu8007/10483958.html
2014年4月28日 イメージ 5 その後1970年代に太陽観測所も岐阜県に移転した。そこから紆余曲折があったが現在は近鉄が使用している。 近鉄生駒山無線局の使用目的は不明だがおそらく列車無線と思われる。 次回はこの数奇な運命を辿った建物の写真をツ黴
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テレビ塔が建ち並ぶ生駒山の山頂、暗峠や慈光寺から続く道を歩いて行きますと、円筒状の建造物が建っています。私、これは牧場等にあるサイロの跡か何かと思い、昔ここに牧場でもあったのか?と思いましたが、これまでそんな話は聞いた事がありませんでした。その後、最近になって手持ち資料にこの建造物についての記述があり、それによるとこの建造物は「天文台」だったそうで、京都大学所属の観測施設で主に太陽観測に使用され、昭和十六年(1941)に建設されたそうです。太陽観測以外にも太陽熱利用等の研究も行われていたそうで、当時の写真を見ますと棟続きで「分光観測室」と「塔屋」と呼ばれる施設があり、現存しているのは「塔屋」の建物で、かつては円錐状の屋根があった様ですが、現在は撤去され単に円筒状となった塔屋が残されています。高さ16m、外塔は直径5m、内塔は直径1mで厚さ約20cmの鉄筋コンクリート造りだそうです。あと「分光観測室」ですが、建物自体は現存せず、僅かに塔屋にその棟続きだった跡が見受けられます。こちらも当時の写真を見ますと、三角屋根の二階建となっており、正面には立派な玄関があります。建物自体は現存しませんが、塔屋を良く見ますと棟続きに建てられていた、屋根の形状の通りにその痕跡が残り、また反対側(南側)にも当時あったであろう建物の痕跡が残っていました。当時、塔屋の内塔上にシーロスタット鏡が設置され、これによって導かれた光は塔底で曲げられ、太陽分光写真儀の前面で像を結ぶ仕組みになっており、また四十五度鏡によって同じ観測室内の長焦点分光写真機にも導かれる様になっていたそうです。それで、主な設備として先のシースロッタ鏡、太陽分光写真機、太陽分光儀、あと反射鏡、太陽直接写真機、太陽直視望遠鏡、測微分光光度計および日射計が設置されていたそうですが、私には何のこっちゃ全く分かりません(笑)現在、分光観測室の跡には立ち入り禁止となっています、倉庫の様なコンクリート製の建物がありますが、後年になって建てられたものか?それとも施設の一部なのか?それについて詳細は分かりませんでした。尚、その後いつ閉鎖されたのか?その後の経緯については全く調べておりませんので、興味のある方はインターネット等でお調べになって頂きたいと思います。昔、生駒山に天文台があったんですね。やっぱり、気になったら調べてみんと…
https://knaw.exblog.jp/18015915/
1941年に「生駒山太陽観測所」が設置されたようで、どうも、この塔屋はそのときに新設されたものでは?というののがワタクシの推理。その後、京都大学理学部付属の天文台として使用されていたけど、京大天文台が飛騨に新しくできて、ここは用無しになったみたい。しかし、何か用途を変えて使い続けられなかったのでしょうかネ。建物は使わなくなると一気にダメになっちゃいます。いまはもうボロボロですが、これは立派な近代化遺産だと思うのです。