武智丸(安浦のコンクリート船) 概要・歴史
防波堤になったコンクリート船
武智丸(たけちまる)は広島県呉市の安浦漁港にあるコンクリート船を利用した防波堤。
第二次世界大戦中の鋼材不足を補うため、コンクリートを使った貨物船として考案され、舞鶴海軍工廠の林邦雄海軍技術中佐が設計、大阪府土木会社武智昭次氏により高砂市にあった塩田跡の造船所で同型船4隻が建造された。
1944(昭和19)年6月に第一武智丸が竣工し、続いて第二、第三が完成、主に石炭や製鋼原料、雑貨輸送に利用され、瀬戸内海を始め南方にも航海したと言われる。第四武智丸は艤装中に終戦となり戦後に完成、1945(昭和20)年9月17日に神戸沖で台風で座礁したのちに廃船となっている。
第三武智丸は1945(昭和20)年7月10日に瀬戸内海の小豆島沖で触雷して沈没。第一武智丸はエンジン故障で呉市警固屋付近で放置され、第二武智丸は使用可能で大阪商船が払い下げを受けたがまもなく廃船となった。
第一武智丸と第二武智丸を当時防波堤のなかった安浦漁港で利用することが提案され、1949(昭和24)年より基礎工事を開始、1950(昭和25)年2月に完成した。海底をさらって深くしコンクリート船を沈設、周辺に安定用の捨石が施されている。
1973(昭和48)年には漁港整備計画により撤去の話があったが、船が強固なため困難と判断され、現在もなお防波堤としての役割を果たしている。
廃船を利用した施設ではあるが、防波堤としては現役であり管理されている。
痕跡を残しての再利用・一部現役・一部解体等、通常の不使用状態ではありません
2014-09-12
2023-04-27