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下原まで戻って,軽い上り坂を進むと,左手に校舎の気配が感じられて升沢に到着です。ここも他に家屋はなく,山神という石碑が見られる程度です。吉田小学校升沢分校は,へき地等級3級,児童数54名(S.34),明治35年開校,平成6年閉校。住宅地図から推定した離村年は平
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集落の分校の閉校も決まり、子どもたちが山をおりた学校に通わなければならなくなったことも重なって、嘉太神・升沢の両集落から一切の人の姿が消えてしまったのだと想像されます。小さな集落にとって学校という場所が果たす社会的な役割が大きいことを、あらためて認識させ 私は、吉田村伝説がこの大和町吉田の廃村となった二集落を題材にしてつくられた可能性は十分に考えられると思ってます。吉田村伝説が噂となって世間に出始めたのは、ここ数年足らずでの出来事だと想定されています。
https://www.smt.jp/projects/masuzawa/2017/11/post-21.html
いま、宮城県黒川郡大和町升沢地区には、集落としての姿はない。しかし、かつてここは、船形山(ふながたやま)への登山口となる最奧の村があった。伊達藩の時代、升沢には出羽へ抜ける街道の関所として藩の御番所が置かれ、近代は薪炭などの山林資源の供給地となり、戦後は用材の