http://black.ap.teacup.com/purelove/199.html
宮崎、山奥の小学校小椎葉小学校私が訪れたときは草ボウボウで、校舎が見えないほどでした。木造のこじんまりした校舎、玄関には地質調査の木箱がいっぱいでしたね。林業の衰退がこのあたりの廃小学校の一因です。
https://www.nekoton.com/entry/2020/02/29/040000
先日、西都市尾八重の大椎葉(おおしいば)に有楽椿を見に行ったとき、その奥に小椎葉(こしいば)という集落があって、そこには小学校もあって今もその建物が残っているという話を通りかかった軽トラックの人に教えてもらいました。その日は時間がなかったので改めてその小椎葉に行ってみました。 一ツ瀬川左岸を走る米良街道の瓢箪渕(ひょうたんぶち)という小さな集落から山道に入り狭い坂道を大椎葉の方に上って行きました。そして、前行った大椎葉を過ぎてしばらく進むと数軒の廃屋がありました。その付近に集落があったことが伺えました。そして道路のすぐ右に壊れかけた大きな建物。そこが小学校かなと思いました。
https://open.mixi.jp/user/10896991/diary/686813711
屏風状に連なる山は、上ってみてもやはり屏風のように、尾根部も緩やかなものではなかった。そうした険しい尾根の一部を切り開き作られたのが、小椎葉小学校だった。尾八重で分かれた林道をたどっていくと、突然尾根筋の道に面して廃墟となった施設が現れた。平屋建ての木造トタン板葺きと見える校舎跡だ、枯れ草に覆われ、ぼろぼろになりながらまだ建って残っていた。道の反対側にはフェンスが残り、その向こうはまた崖のように落ち込んでいて見えない。校庭も含め細長い敷地だが、このような場所によくこれだけの土地を作ったものだと、先人達の努力に頭が下がる。ここにも記念碑が残り、昭和54年度まで学校が続けられていたことがわかる。その後は建設会社にも貸し出されていたような様子だが、西都市の災害時避難場所に指定されているものの、既に床は危ない状態に見え、とても実用には役立ちそうにない施設となりはてていた。玄関から中をうかがうまでとした。またイヌの吠える声が聞こえた、谷のずいぶん下の方で狩りをやっているようだった。巨岩の落石はあったものの、尾八重からここまで意外な快適路で、この先のスケジュールも予想以上に進行が早くなりそうな様子にくわえ、校舎が残っていたという思いがけない展開にうきうきとした気分で小椎葉小学校を後にした。
https://haradaoffice.biz/koshiiba-sho/
小椎葉小学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立小学校です。訪れると、周辺に集落はなく、山の中に学校跡だけが現われます。