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宮崎の山奥にまたまたある廃校尾八重小中学校狭い山道をクネクネ行くと到着できます。敷地はかなり広いですね。木造の校舎が残されており、昭和の香りが満ちています。なかなか行くのが困難なので、今後もこのままではないでしょうか~
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同名の小学校が椎葉村にもありましたが、本記事は旧東米良村の尾八重小学校について書いています。目次 1 尾八重地区2 創立百周年記念碑3 体育館4 閉校記念碑5 旧校門6 尾八重公民館7 木造校舎8 沿革8.1 尾八重小学校8.2 尾八重中学校9 関連記事尾八重地区尾八重地区へ行くには、西都市街から九州山地へ入り込みます。尾八重小中学校跡の標高は490mです。「おはえ」という地名は、古くから使われてきました。もともとは雄八重と書いていましたが、尾八重となったのは米良氏が領主となってからです。古来から引き継がれる、尾八重神楽が有名です。校庭にある聖域は、尾八重神楽が奉納される場所です。創立百周年記念碑校門の奥にある石碑は、創立百周年を記念するものです。書は、宮崎を一大観光地に育てたと評される時の宮崎県知事・黒木博氏によるものです。体育館山間の傾斜地が多い尾八重地区において、体育館のような大きな建造物は貴重です。