https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-12568170908.html
さて 続いては 宮崎県 児湯郡 木城町 旧松尾鉱山跡へと向かった。こちらの鉱山は 大正7年頃から昭和46年頃まで採掘を行っていたようだ。金、銀、銅、錫、アンチモン、砒素を産出。
https://www.asia-arsenic.jp/starting-point/toroku-matsuo
第1次世界大戦後、日本は、ドイツに代わって亜砒酸の輸出国にのしあがります。亜砒酸は、砒素の化合物の中でもっとも毒性が強いといわれ、農薬や毒ガスの原料として使われた猛毒物です。宮崎県高千穂町の土呂久鉱山、木城町の松尾鉱山では、1920年ごろから「亜砒焼き窯」と呼ばれる前近代的な装置で硫砒鉄鉱を焼いて、亜砒酸の製造を始めました。鉱山周辺では、蜜蜂がいなくなる、椎茸がとれなくなる、植林の成長がにぶる、牛や馬が病死するなどの被害がでます。鉱山労働者や周辺住民に、砒素中毒の症状がみられるようになります。住民たちは、鉱山会社や役場に被害を訴えて操業の停止を求めますが、その声を聞く耳をもつ者は現われず、社会問題になることはありませんでした。全国の鉱山が次々とつぶれていく1960年代に、土呂久と松尾の鉱山も閉山しました。