日平鉱山 関連ブログ・参考リンク
http://nanjaroka.jp/siseki/makimine/index.html
槇峰鉱山跡槇峰銅山跡:東臼杵郡北方町・西臼杵郡日之影町国道218号線沿いの槇峰駅のすぐ手前から綱の瀬川沿いに約2kmさかのぼると、川の両側(東側が北方町、西側が日之影町)に槇峰銅山跡がある。この銅山は良質の銅で知られていたが、約300年前の宝暦~寛文の頃、新庄
http://makimine.livedoor.blog/archives/5594986.html
AmazonのKindleストアで見つけた「休廃止金属鉱山跡を訪ねて」の本です。購入して見てみましたこの中で槙峰鉱山のことが短く書かれていました。その中の1枚の写真です。(昭和60年4月撮影)当時の鉱山住宅です。昭和56年に訪れたことがありましたがこの時は奥の自敬寮は取り壊しの途中でした。Googleストリートビューで同じ位置から見た現在の様子です。
https://heritabi.com/info/3819/
宮崎県延岡市日之影町にまたがる旧槙峰鉱山は1657(明暦3)年に発見されたと伝えられる銅鉱山。延岡藩主内藤家の経営を経て、三菱が操業するようになり最盛期には粗鋼生産量23万トンに達する日本有数の銅山となりました。太平洋戦争末期には、中国人を強制労働させた歴史も。戦後は次第に出鉱量が減少し、1967(昭和42)年に閉山。山中に選鉱場や坑口が残されています。見どころ
http://blog.livedoor.jp/mintcar13/archives/33575668.html
槙峰橋のたもとに残る槇峰鉱山精錬所跡です。敷地内は勿論立ち入り禁止ですが道路から一部が見えます。「宮崎県」カテゴリの最新記事
http://makimine.livedoor.blog/archives/cat_42361.html
明治時代の資料です。日平鉱山の製錬所は槙峰鉱山の日平鉱山住宅の所にありましたが坑口の位置については分かりませんでした。図を見ると製錬所上の方に松崎南坑と松崎坑が確認できます。
http://wing.wainet.jp/index.php/component/content/article/219
また、明治から大正にかけては、日平鉱山(延岡市北方町)を所有していた。採掘・製錬された銅のインゴットは延岡に運び込まれ、北町から船で出荷された。この銅が内藤家に莫大な富をもたらした。内藤家は鉱業のほかに林業、電気業、醸造業などを営み、延岡女学校の授業料免除、亀井橋建設費の全額負担といった多くの社会貢献をした。その根幹をなしたのは、日平の銅だったことは言うまでもない。
http://makimine.extrem.ne.jp/?p=878
日平鉱山製錬所跡