鶴見崎砲台 関連ブログ・参考リンク
http://ameblo.jp/sonica849/entry-11928128578.html
まず、「鶴御崎砲台」とはどんな場所であったか、という事から簡単にご説明させて頂きます。1920(大正9)年に旧日本陸軍は、太平洋から瀬戸内海に至る重要なシーレーンであった豊予海峡(関アジ、関サバで有名な大分県佐賀関と愛媛県佐田岬との間の海峡)を守るため「豊予要
http://www6.ocn.ne.jp/~topposak/tsurumizaki4.html
地元の行政が保存に前向きに取り組んでいたようで(市町村大合併後については分かりません)、兵舎・井戸・貯蔵庫跡等を巡る散策路が作られていました。丹賀の砲塔砲台事故の跡、ここが第一砲台、山の頂上にある観測所下に第二砲台(38式12糎榴弾砲)が作られ、高島・佐賀関・
http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2007-05-04
九州本土の最東端でもある鶴御崎灯台。実はその灯台の下に巧みにカモフラージュされた要塞跡があったのです。灯台下の駐車場から歩いて灯台に上がる途中に早くも戦時中のものと思われる横穴を発見。さすがに崩落の危険があるのでこれ以上は近づけません。覗けないのでなんの為の横
http://tamutamu2011.kuronowish.com/turumizakihoudai.htm
(つるみざきほうだい=現在の鶴御は戦争当時「鶴見」と表示されていた)他の写真豊後水道に突き出た細長い鶴見半島の先端(九州の最東端)のこの地に、第2次世界大戦中、豊後水道をはさんで大分・愛媛両県にまたがって構築された豊予要塞(豊後水道一帯の守備要塞《ようさい=国
http://blogs.yahoo.co.jp/kazu7046/47997896.html
九州最東端にある「鶴御崎灯台」今は、九州最東端の碑があり、少ないながらも観光客が訪れているようですが、戦時中、ここには大規模な要塞がありました。鶴御崎灯台は、その要塞施設の上に建てられており、要塞施設の一部はギャラリーに改装され、時を刻んでいます。今回、この要
http://ameblo.jp/ns-c35-235/entry-10939691782.html
今回の鶴御崎は九州最東端の場所でもあります。バブル期に「ミュージアムパーク」として整備されたみたいですけど…ガラガラです(笑)鶴御崎灯台です。あの灯台の近くに旧海軍の施設跡があるんですよね。さて、行ってみますか♪海峡に侵入する敵潜水艦を捕捉するための聴測所です
http://www009.upp.so-net.ne.jp/fortress/houyo/tsurumi1.htm
鶴見崎第一砲台(上)北から3番目の砲座鶴見崎第一砲台には、45式15cmカノン砲4門が据え付けられた。4箇所の砲座中、2箇所は素掘りのままであり、突貫工事であったことが理解できる。(上)最も北側の砲座(上)最も北側の砲座内部(左)北から2番目の砲座(上)北から
http://www009.upp.so-net.ne.jp/fortress/houyo/tsurumi2.htm
鶴見崎第二砲台(上)1番北側の砲座鶴見崎第二砲台には、38式12cm榴弾砲4門が据え付けられたが、のちに佐田岬砲台へ移された。(上)北から2番目の砲座(上2点)砲側庫横に残る横穴(上)北から3番目の砲座(上)北から4番目の砲座鶴見崎第一砲台へつづくHome>豊