木江天満遊郭 関連ブログ・参考リンク
http://boroyado.doorblog.jp/archives/1061556.html
「玉屋旅館」と「三島屋旅館」です。こんないい宿があるという情報はどこにもありませんでした。しかし問題は営業しているかどうか。誰か住んでいる感じだし、営業しているならぜひとも泊まってみたい宿でした。もう一泊この島に泊まってもいいというくらい。向かいの八百屋で現地
http://deepannai.info/hiroshima-kinoe/
安芸の小京都などと呼ばれる竹原市の竹原港からフェリーに乗って対岸の大崎上島に渡る。芸予諸島の一つに数えられる離島で、しまなみ海道やとびしま海道などと呼ばれる道で繋がる島々とは違い、本州から陸路で繋がっている橋がないので、フェリーで来るしかない。人口は約8000
http://furoyanoentotsu.com/kinoe20060911_12.html
木江遊郭跡(広島県大崎上島町木江)H18.9.11~12大崎下島・大長港から、高速船で大崎上島の天満港へ。15分ほど。ここには、木江(きのえ)という遊郭跡がある。やはり、大崎下島・御手洗と同様に、オチョロ舟(お女郎船)で栄えた土地。かつて有った、木造の造船技術
http://tabibito8823.blog69.fc2.com/blog-entry-714.html
昨日は木江天満遊郭跡のメインストリートを日記にしました。今日は他の建物たちを・・・。☆唯一開いていた食料品店。よろずやかな?☆看板は朽ちかけてますが・・・うっすら「うどん・そば」って書いてた。☆こちらは少しリフォームされてた。追記につづく。☆いやーー美しいタイ
http://ameblo.jp/hai6no1/entry-11603924862.html
ここ天満は、幕末から明治にかけて補給港、造船所が数多く作られたおかげで栄えたそうです。また九州から京阪神への航路の寄港地としても栄え、繁華街、旅館街、遊郭として栄えた名残りが、昔のまんま残っているというので、前々から一度訪問してみたかった地なんです。戦後の赤線
http://magphoto.exblog.jp/17296514
憧れの大崎上島・木江(きのえ)にやって来ました。港のすぐそばに残る天満遊廓跡、ここが見たかった~!狭い通りに木造2階建、3階建の妓楼が数多く建ち並んでいます。松野屋さん、食堂だったのでしょうか?消えかかった看板にうどん、そばと書かれてありました。お休みでしたが
http://blog.livedoor.jp/masataka0374/archives/1012479392.html
子供の頃、ここでアイスを買った記憶がある「遊郭跡」カテゴリの最新記事
http://4travel.jp/travelogue/10695194
呉に一泊し大崎下島と大崎上島へ向かった。大崎上下島行きのきっかけを作ってくれたのはwちゃん(4T非会員)kちゃん(4T非会員)だ。いろいろ情報を頂いて、こんな面白い島があるなら行かねばなるまい、と思った次第である。感謝。さて両島はオチョロ船でにぎわった歴史があ
http://boroyado.doorblog.jp/archives/1067941.html
木江の町全体が、ちょっと寂れ傾向にあるのかもしれません。集落は海岸に迫った山と海の間の狭いスペースに密集していて、山の中腹にも家がたて込んでいます。フェリー乗り場から離れた港の付近では、船関係の作業場の廃墟みたいなのもありました。木造5階建ての建物もありました