契島(ちぎりしま)は広島県豊田郡大崎上島町にある島。 1899(明治32)年に深川鉱山製錬所が設置され...

契島

契島 概要・歴史

契島(ちぎりしま)は広島県豊田郡大崎上島町にある島。 1899(明治32)年に深川鉱山製錬所が設置され...

契島 画像

契島(2017年10月)
"Chigirishima Island 5 契島5" flickr photo by Kusakabe https://flickr.com/photos/kusakabe/40318758682 shared under a Creative Commons (BY-SA) license

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契島 ストリートビュー・空中写真

契島 関連ブログ・参考リンク

https://www.departure-ruins.com/tigirijima/
通称「もう一つの軍艦島」。島全体が亜鉛工場となっていて、昼夜を問わず操業が続けられている。関係者以外は立ち入りが許されていない。遠目に何か見えてきた。あれか?あれなのか?なんか違う。
https://www.hotetu.net/Detachedisland/201031chigirijima.html
更新日時 2020年12月05日 契島は広島県豊田郡大崎上島町、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島。1899年(明治32年)に深川鉱山製錬所として銅の精錬が始まった。その後、何度か経営者が変わるが1950年(昭和25年)に東邦亜鉛が買収した。後に銀の精錬も始め今日に至る。広島県竹原市の沖合い約4kmに位置し、面積は9万平方m。島のほとんどが東邦亜鉛株式会社の所有で、同社の工場(契島製錬所)である。日本の40%以上の鉛がこの島で製錬されている。2017年現在、日本国内で鉛鉱石からの製錬を行っているのはこの島の工場のみ。大崎上島町営フェリーが立ち寄る波止場を除き、同社関係者以外は立入禁止だが、工場マニア・廃墟マニアの間で端島(長崎県)に次ぐ「もう一つの軍艦島」として注目を浴び、無断で工場敷地内に立ち入るマニアが後を絶たない。島には7つの工場の他に、物流センターや社員住宅があり、2017年現在で30人の作業員が居住する。鉛は、オーストラリアや南アメリカなど海外から輸入した鉱石を製錬して生産され、2017年現在年間9万トンを出荷し、主に自動車バッテリーの原料として使用される。①契島の東側全景。②契島の北側全景。③契島の西側全景。④契島の南西側全景。契島は竹原港から大崎上島の白水港経由で行ける。大崎上島の白水港待合室。大崎上島の白水港から町営フェリーさざなみでり島に行ける。⑤契島は島全体が東邦亜鉛の敷地。⑥契島港湾施設。⑦契島港湾施設。⑧契島の桟橋。ここから上陸する。⑧契島は島全体が東邦亜鉛の敷地。⑧契島は島全体が東邦亜鉛の敷地の為一般の人は上陸出来ない。戻る  Copyright (C) 2008-2022 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『大崎上島町』を掲載」
http://arch-hiroshima.info/arch/hiroshima/chigirishima.html
瀬戸内海にもいくつか軍艦島と呼ばれる島がある。文化財としての価値が高いのは四阪島であるが、この契島(ちぎりしま)の方が近寄りやすい。契島は昭和鉱業が1935年頃から本格的な銅の精錬を開始、国策会社を経て1950年からは東邦亜鉛という会社が所有し、日本の鉛の4割がここで生産されているという。デザインする意図をもって作られた建物ではないが、煙突を頂点とする独特のフォルムが海に浮かんでいる風景は、遠景では非常に神秘的で、逆に近寄ると工場らしい無骨さが際立ち、いずれも見ごたえがある。また、現在の精錬所はは公害を出しているわけではないが、代表的な迷惑施設である精錬所が立地してきたという瀬戸内海地域の負の歴史を知る意味でも重要なスポットといえる。なお、ここに掲載した写真はチャーター船から撮影したものであり、定期航路からはこのようには見えない。