http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/10223368.html
廃村小原(おはら)平成7年に全村民が離村した集落跡です。先ほどの道は林道ではなく集落道路。離村した理由はもちろん丹生ダム。離村したにもかかわらず、そこにダムはできない。地域、そして下流域の人々の為に泣く泣く故郷を離れた人たちはこの光景を見て何を思うのでしょうか
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/10211790.html
12月31日までというのがこの先も永続的に通行止めなんだろうという事実をやんわり伝えています。 そして奥川並は滋賀県最奥の秘境ともいえる場所。 岐阜県が全国に名を轟かす極悪廃道「ホハレ峠(レポ未)」にも近い、恐ろしい場所です。
http://tamanihitokoto.blog87.fc2.com/blog-entry-220.html
~廃村「小原」の、小原かごと白子皇子伝承~滋賀県は長浜市余呉町坂口にある大箕山、その中腹に今なお健在の歴史深き古刹「菅山寺」を訪れた
https://blogs.yahoo.co.jp/supopopo_pop/36670646.html
通行止め区間を抜けてしばらく走っていると、鉄線で仕切られた広場の中に怪しい建物がありました。よーくよーく奥を見てみると何やら木箱のようなものが見えますな。もしや・・・!?アレは防御システム(ミツバチの箱)!!あぶない!逃げろ!!・・・などと慌てて逃げれば、余呉
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/25.Shiga/Yogo_Ohara.html
◆小原(おはら)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「敦賀」(昭和26.9)を使用したものである所在:長浜市余呉町小原地形図:中河内/敦賀形態:川沿いの斜面に家屋が集まる離村の背景:ダム建設標高:約250m訪問:2011年6月 町の北部、高時(たかとき)川上流右岸にある。丹生(にう)ダムによる水没予定地。 町誌によると、奥川並・針川・尾羽梨に続き集団移転を行う予定であったが、営林署の予算不足により山林の売却ができず、住民の移転資金が確保できなかったために計画は頓挫してしまったという。当時昭和46年、9戸36人。のち小原地内にダム建設が計画され、離村に至った。 集落跡は緩やかな斜面になっており、南寄りにある山道を登ると屋敷跡と思われる石垣が数箇所見られる。傾斜地の下方中央寄りには水場や特徴的な何かの柱?が見られた。また集落北側、県道を挟んで谷側に建物のある平坦地があるが、何かの跡だろうか。 HEYANEKO氏の調査によると、集落には丹生小学校小原分校があり、昭和54年休校、平成8年閉校。 なお大字小原は近世の伊香郡小原村。明治22年丹生村(のち余呉村→余呉町)の大字となる。明治13年18戸73人、昭和53年9戸32人。かつては製炭業が主な生業。春日神社があった(角川)。 写真1 地名表示写真2 石垣と道写真3 水場写真4 ?写真5 北側の平地