香取航空基地 概要・歴史
複数の掩体壕が残る
香取航空基地(海軍香取航空基地)は旧・匝瑳郡椿海村(現・千葉県匝瑳市)と同郡共和村(現・千葉県旭市)にまたがり建設された大日本帝国海軍の航空基地(軍用飛行場)。
1942(昭和17)年頃完成。滑走路は1500mと1400mの2本で互いの中央部が十字状に交差した特徴を持つ。1945(昭和20)年2月、本州から初となる神風特攻隊が硫黄島へ出撃した。
1945(昭和20)年10月、太平洋戦争終結と共にその役目を終えた。
跡地にはあさひ鎌数工業団地があり、北西角の北側田圃内(匝瑳市春海)に航空機用有蓋掩体壕が2基残っている。春海第一掩体壕(東)、春海第二掩体壕(西)と呼称され、春海第一掩体壕(東)は開口部に蓋がされた上で案内板が設置され、近づいて見学できる。案内板には「鉄筋コンクリート造アーチ型、開口19.5m、奥行10.6m、高さ6m、コンクリート厚0.3m」といった説明がある。春海第二掩体壕(西)は個人所有農地内に位置し、近づくことはできない。
基地跡南東角の東側、鎌数伊勢大神宮(旭市鎌数)の私有地駐車場脇に大型機用有蓋掩体壕がある。
また、鎌数工業団地から西へ約2km、匝瑳市椿に間口幅3m×高さ1.5mで奥行の深い有蓋掩体壕があるが、関連ははっきりしていない(匝瑳市椿の掩体壕)。
工業団地西側の空き地内に当時の前庭舗装が残っている。また、滑走路面跡地にある日清紡ブレーキの自動車テストコースには、滑走路の舗装が当時のまま一部残っている。
旭緑地公園には慰霊碑が設置されている。
同公園内には、「米国からのMAP供与品」としてSNJ型航空機T-6テキサン(619号機)が展示されている。防衛庁海上幕僚長から旭市長が借り受けたという。MAPとは「Military Assistance Program」の略で、米国が相互安全保障法(MSA)協定に基づき相手国に軍需品を無償供与するものだが、この練習機がどういう経緯で旭市に貸与されているのかははっきりしない。「黄色い飛行機」等として紹介されていることもある。