http://www.geocities.jp/osaka_minerals/osaka-sanchi/hatanomine.htm
上の写真は旧坑へ行く前に寄った貯鉱場跡?へ行く谷です。石がゴロゴロしていますが、割ると秦野鉱山の鉱石である方鉛鉱-磁鉄鉱-黄銅鉱等の金属鉱物が密に集合したものが得られます。 貯鉱場の谷入口から石澄滝へ行く道の脇にある坑口。
https://ike-katsu.blogspot.com/2012/10/blog-post.html?m=1
五月山から北には無数の鉱山跡があります。五月山は北摂山塊の南端にあたり周辺には「間歩(まぶ)」跡も多く見られます。近くでは多田銀山が有名ですね。しかし、池田市域にも間歩跡がいくつかあります。五月山の連なりで頭頂部にあたる六個山(396メートル)の西側に、間歩跡が残っています。貞享3年(1686) に鉱山が開発され、京都の浅川三郎兵衛という人が8年間に渡って銅を中心に採掘したようです。 更にこの鉱山からは、銅の他銀も採れたらしく、貞享4年の資料(吉田家文書:大谷用水番水手形)には「銀山」と記述されているそうです。その後、写真の場所から少し南で、太平洋戦争中にも採掘していたようです。そこは秦野鉱山と呼ばれ、主に鉛を採掘していたようです。写真は、一番大きな間歩です。中には入れませんが、入り口は2メートル程あり、下向きに数十メートルはあろうかと思える、怖いくらいの穴があいています。