https://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/13925002.html
名称は追分橋。ちなみに向かって左の…つまり下り線側の親柱には「石田川」とあった。しばし、この不憫な橋と向き合うとする。「平成4年12月竣工」。見た目通り、やはり平成生まれだった。まだまだ働き盛りだろうに…。こんな橋が死んでるって状況、そうそう見ないぞコレ。けど、この「うち棄てられた感」は…やっぱ、「そういうこと」なんだろうかねえ…。ここで、珍しく機嫌の良かった我がスマートなフォーンでパノラマ撮り。
https://ameblo.jp/quicknick/entry-12450875218.html
海老坂旧道最大のランドマークである追分橋、その南詰を見ている。 路肩の外には窪み。特に注目に値するようには見えない、普通は無視するレベルの眺め。なんでこれに着目しているかといえば… 追分橋のたもとで、見ちゃったからだ。 焦らすなって?(笑) この窪みはいつしか「溝」のようなビジュアルになり、そして !!間違いない。 コレ、何らかの水路跡でしょ! どっから来ているのか、農業用水なのかなんなのか、何らかの名称があったのかなかったのか?さっぱりわからないが、明らかに今は使われていないであろう開渠の遺構が、臆面もなく見えておるではありませんか! なんかないかな~、と常にキョロキョロしているのは我々業界人のサガだが、時にこういうボーナス・ステージが登場するから、ヤメられんのよね~!神様ありがとうございます(笑)。 思いがけず出会った、謎の疏水遺構。コレは追いかけねばなるまいて。さらにオイシイ何かがありげな予感もあるし。それに、とりあえず手近なところに、テンションが上がる要素もすでに見えていたのでね!