岩手軽便鉄道(いわてけいべんてつどう)は岩手県にあった鉄道路線。後のJR東日本釜石線に相当する路線....

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岩手軽便鉄道 概要・歴史

岩手軽便鉄道 画像

宮守川橋梁
宮守川橋梁
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背後に見えるのはJR釜石線宮守川橋梁、通称「めがね橋」
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近くのスポット

岩手軽便鉄道 ストリートビュー・空中写真

岩手軽便鉄道 関連ブログ・参考リンク

岩手軽便鉄道時代の痕跡
https://www.cafe-dragoon.net/trip/rosen/kamaishi_line/iwatelighttrain.html
岩手軽便鉄道時代の痕跡JR釜石線のあちこちに残る岩手軽便鉄道の痕跡。●花巻~似内間旧線(花巻~似内間)●北上川橋梁(似内~新花巻間)●旧鱒沢隧道(宮守~柏木平間)●宮守川橋梁(宮守~柏木平間)●達曽部川橋梁(岩根橋~宮守間)●遠野~青笹間旧線(遠野~青笹間)●岩手上郷駅~足ヶ瀬駅旧線(岩手上郷~足ヶ瀬間)●足ヶ瀬駅周辺●旧仙人峠駅(釜石街道仙人峠遠野側口)●陸中大橋駅付近と釜石鉱山跡(釜石街道仙人峠釜石側口)UP!!TOP>旅の記録>路線各駅巡礼写真のページ>JR釜石線(岩手県)>岩手軽便鉄道時代の痕跡TOP>旅の記録>廃線・廃道・道路関係>岩手軽便鉄道時代の痕跡
岩手軽便鉄道の軌跡を辿る - 遠野物語や遠野遺産を軸にして今現在の「遠野」を豊富な写真と動画でご紹介...
https://tonolink.jimdofree.com/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E8%BB%BD%E4%BE%BF%E9%89%84%E9%81%93/
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった「めがね橋」として有名になった宮守川橋梁。でも現在のJR釜石線の橋梁ではなく、その橋梁に寄り添うように意味ありげに煉瓦式積み上げ構造とみられる橋脚の名残こそが本来のモチーフとなった橋梁跡。もしかしたら、モチーフとなった場所はここではなく達曽部川橋梁だという話もある。現在のJR釜石線がそのまま岩手軽便鉄道の軌道を利用したわけではないことを知り、またその軌道の跡も現存する場所があることに興味をそそられる。母も遠野に住んでいた頃、釜石の洞泉にいる親戚宅に出かけるために岩手軽便鉄道を利用して仙人峠駅(本人は足ヶ瀬駅で降りたと記憶しているが)で降りて、仙人峠を徒歩で越え釜石鉱山鉄道に乗り換えて行ったと記憶している。母が結婚後陸中大橋に住んでいたが、私が知る釜石鉱山鉄道は旅客業をすでに止めており、鉱石貨物専用となっていた。だからこの鉱山鉄道の大橋駅の記憶はなく、現在のJR釜石線の大橋駅のそばが終点だった。とても小さくかわいい機関車で機関士のおじさんとなにやら話をしたり機関車に乗せてもらった記憶がある。この線路沿いで磁石を土の中に入れかき回しごっそりと鉄の粉を付着させて遊んだ記憶がある。その鉄道も1944年廃線となるが、当時私は中一だったことになる。また、小学生のころ友達と足ヶ瀬堰堤下で釣りをした記憶があるが、せき止められた湖の中に軽便鉄道の痕跡があるとは思ってもいなかった。 そういうこともあり、私が生まれたときにはすでに廃線となったいた岩手軽便鉄道の軌跡を辿る旅へと出かけることにした。岩手軽便鉄道の全体像はこちらのウィキペディアでご確認ください。大正期の遠野駅の写真も掲載されています。
SL銀河と岩手軽便鉄道の遺構 | 著作権で稼ぐ
https://ameblo.jp/gut-expert/entry-12523093495.html
旧北上川橋梁の橋台旧橋台と新北上川橋梁花巻駅待合室に展示されている岩手軽便鉄道の写真今年のゴールデンウイーク(GW)も、例年通り花巻の実家に帰省し、昨夜、仙台に戻ってきた。
産業技術遺産探訪~旧 岩手軽便鉄道 宮守隧道 鱒沢隧道
https://gijyutu.com/ohki/tanken/tanken2005/iwate-keiT/iwate-keiT.htm
産業技術遺産探訪 2005.9.24./10.22./10.28.旧 岩手軽便鉄道 宮守隧道・鱒澤隧道岩手県遠野市(岩手県上閉伊郡宮守村)旧 岩手軽便鉄道 宮守隧道1915(大正4)年竣工 煉瓦造岩手県遠野市宮守町下宮守(岩手県上閉伊郡宮守村字下宮守)旧 岩手軽便鉄道 宮守隧道 出口(東側)JR釜石線・宮守トンネルの右側(北側)に並んで林に覆われています。旧 岩手軽便鉄道 鱒澤隧道1915(大正4)年竣工 煉瓦造岩手県遠野市宮守町下鱒沢22地割(岩手県上閉伊郡宮守村字下鱒沢)旧 岩手軽便鉄道 鱒澤隧道 出口(東側)「鱒澤隧道」左のトンネルは、JR釜石線・鱒沢トンネル(310m)達曽部川橋梁(JR釜石線・達曽部川橋梁(岩根橋梁)  岩手県遠野市(岩手県上閉伊郡宮守村字下宮守)          1943(昭和18)年竣工(岩手軽便鉄道・達曽部川橋梁を改修)           鉄筋コンクリート造・カテナリーアーチ橋(6連アーチ橋) 土木学会選奨土木遺産)宮守川橋梁(JR釜石線・宮守川橋梁  岩手県遠野市(岩手県上閉伊郡宮守村字下宮守)          1943(昭和18)年竣工 鉄筋コンクリート造・バランストアーチ橋(5連アーチ橋) 土木学会選奨土木遺産)技術のわくわく探検記  産業技術遺産探訪  技術科@スクール
廃線隧道【BLOG版】 岩手軽便鉄道跡・宮守トンネル
http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-1962.html
宮守トンネル(岩手軽便鉄道開業記念絵葉書より)花巻と仙人峠を結んでいた岩手軽便鉄道は全長が60km以上もあることから、大正2(1913)年から同4(1925)年にかけて数回の部分開通を経て全通を迎えることができました。このうち最後の未開業区間として残ったのは、2つのトンネル(宮守トンネル、鱒沢トンネル)を掘らなければならなかった岩根橋~柏木平間です。両トンネルは国有化後の改軌に際して隣に新しいトンネルが掘られたため、開業から18年が経過した昭和18(1943)年に廃止されることになりました。
ハイキングさ あべじゃ:宮守隧道
http://blog.livedoor.jp/tomozoh1003/archives/67502162.html
  岩手軽便鉄道は遺構を求め, 岩根橋を後にして更に東進する。とは書いたが, 次の遺構 ”宮守隧道” は岩根橋から一分も走らぬうちに着いてしまう。(H28.11.20)
苗穂展望台(ミスター54の記録)[旧:北海道ディーゼル貨物] 廃線跡探検の積もりが、キハ141系のオマケ...
https://mister54f.blog.fc2.com/blog-entry-446.html
先週は週半ばから東北地方へ出張で、合間を縫って3051レや同和鉱業小坂鉄道の廃線跡などの探索が出来ました。帰りは花巻空港から航空機で札幌まで帰って来たのですが、待ち時間があったので、花巻から出ている釜石線の廃線跡を見ることにしました釜石線は元々岩手軽便鉄道という私鉄で、花巻出身の童話作家、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もこの軽便鉄道をモチーフにしています。ボールドウィンなどの豆SLがピョーという甲高い汽笛をさせて、木造の客車を牽いて走っていた路線も、宮沢賢治が1933に亡くなった後、終戦前にJRと同じ軌道幅に改軌され、かつての味わいはなくなってしまいましたしかし、よほどしっかり作られた鉄道だったのか、沿線に何箇所か当時の名残りが見られます。飛行機の待ち時間、ちょっくら見に出かけました
JR釜石線旧鱒沢隧道
https://www.cafe-dragoon.net/trip/rosen/kamaishi_line/masuzawatunnel.html
JR釜石線旧鱒沢隧道◆2010年4月3日(土)撮影竣工:1915(大正4)年 煉瓦造1915(大正4)年竣工の煉瓦造の隧道(トンネル)で、JR釜石線の前身である旧岩手軽便鉄道開業に併せて造られたトンネル。JR釜石線宮守駅から国道283号線(通称「釜石街道」)沿いを南下すると、国道107号線と合流する地点がある。そこから鱒沢駅方面に約200m東進するところにある。1936(昭和11)年に岩手軽便鉄道が国有化され、国鉄路線と相互乗り入れが出来るように1943(昭和18)年に花巻~柏木平間のレールの幅を変更(改軌、762mmから1067mm)したことによって、列車のサイズが大きくなったためにこの隧道が廃止されたと思われます。