http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-06-03.htm
昭和32年(1957)、日本初の海底水道<高島・端島海底水道>が完成し、端島の水問題にようやく終止符が打たれました。 水源は野母半島の三和町付近の5本の堀井と長崎市の鹿尾水系からのもので、<三和町為石浄水場>を経由し、海底に6,500mの長 さの水道管を敷設して端島および高島へ給水するという、一大公共事業でした。 これにより各戸給水が一気に普及し、島内唯一の室内風呂を設置したアパート(3号棟・昭和34年築)も建設されました。(以降閉山 までに住宅棟としては2棟(51号棟、13号棟)がつくられていますが、これらには室内風呂は設置されず、結局高級職員のアパートで ある3号棟のみが島内唯一の室内風呂を設置したアパートでした。) ただ水の制限がなくなったことで、島内の水使用料は一気にはねあがり、当時の都市部の平均的家庭用水使用料の1.5倍から2倍の量 が消費され、これは東京にも匹敵する消費量で、それにより今度は水源の確保の問題が浮かび上がることになりました。昭和35~37年 の3回にわたる水源地の拡張工事でもその需要に追いつかず、昭和42年の4度目の拡張の際に、貯水能力10万tの<為石貯水池>が完 成します。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~kajihiro/mati/gunkan/gunkan27.htm
昭和32年10月13日、島に待望の海底水道が開通する。水道管延長6,500メートル、水深45メートルという規模は当時世界最大であったそうで、翌日の長崎日日新聞朝刊の見出しは「高島・端島海底水道 きのう世紀の送水式」とある。地元の人たちにとっては、これは決して大げさな見出しではなかっただろう。
https://misakimichi.com/archives/2117
長崎市制120年のあゆみ展 (4) 高島への海底水道工事長崎市制施行120周年記念「長崎市制120年のあゆみ」企画展は、4月に長崎県美術館(出島町)、5月に歴史民俗資料館(平野町)で開催された後、合併各地区を巡回し、11月17日三和地区で終了した。古写真の展示が主。古写真の内容は会場によって変えている。そして、合併町独自の町を振り返る写真がある。たまたま見学した最終日の三和公民館会場の展示。タイトル・撮影場所・説明など内容に疑問を持った古写真の、現地確認などの結果を報告する。