名寄本線(藻興部川橋梁) 関連ブログ・参考リンク
http://www.tetsuroni.jp/haisen/nayoro/nayoro18.html
湧別川の橋梁が掛かっていたはずの場所。痕跡は見つけられなかった。 湧別川橋梁の すぐ下流には堰がある。 開成駅直前の路盤。木々の前に線路があったはず。 開成駅跡 。線路跡は道路になっていた。奥の国道跨線橋が線路跡の証拠。
http://www.ogaemon.com/haisen/nayorohon-sen/nayorohon.html
おがえもん廃線研究所. 調査時期 平成15年10月. 北海道 道北・道東. 国鉄(JR北海道) 名寄本線. JNR NAYORO Line. 廃止年月日 平成元年4月30日. 名寄~遠軽 138.1km 中湧別~湧別 4.9km. 名寄本線廃線調査写真のページへ. 検索用. 名寄本線 湧別
http://www.geocities.jp/xxreport2/repo/nayor.html
北海道の廃線跡を訪ねて 名寄と遠軽を結ぶこの路線もかつては「本線」の名の通り、 幹線としての役割をになっていた。 一方残りの区間については、議会での承認が なかなか得られず、名寄線として名寄から下川まで開通したのは1919年になってから。
http://www.horae.dti.ne.jp/~tabi-pr/s_haisen4.html
北海道の鉄道廃線跡を旅する(4)。在りし日の名寄本線、沙留駅前の海岸で流氷を見る 。名寄本線廃線跡:旧沙留駅付近、旧渚滑駅など.
http://www7a.biglobe.ne.jp/~staw-lets_com/monbetsu.html
旧紋別駅を境としてそれ以北と以南で廃線跡の景観が大きく異なっている。 この写真は 旧紋別駅以南の路線跡が道路として利用されている様子を撮影したものである。 その名 も「メモリアルロード」。廃線跡の土地の利用に関して、 特に町の中心部ではこのよう
http://www.tetsuroni.jp/haisen/nayoro/nayoro2.html
名寄本線廃線調査 2. 調査結果. 上名寄~矢文. 上名寄駅跡にあるバス待合所と駅名票 。 上名寄駅の駅前風景。 上名寄駅跡は貯木場になっているが、バスの待合室の脇に 駅名票が立てられていた。辺りには 矢文駅があったはずの上名寄16線付近。駅跡
http://kitagawa.tv/travel/haisen/n/nayoro.htm
宗谷本線の 名寄 ( なよろ ) 駅から東へと走り、 興部 ( おこっぺ ) でオホーツク海に 抜けては海沿いを走り、 中湧別 ( なかゆうべつ ) から再び内陸部に入って 遠軽 ( えん がる ) に至っていた。100km以上の線路を持ち、本線と名が付いていたのに、廃線と なっ
http://www.kitagawa.tv/travel/haisen/n/nayoro.htm
線名:名寄本線(なよろ・ほんせん) 区間:名寄(なよろ)-遠軽(えんがる) 138.1km 中湧別(なかゆうべつ)-湧別(ゆうべつ) 4.9km 全駅:名寄-中名寄-上名寄- 矢文-岐阜橋-下川-二ノ橋-(幸成)-一ノ橋-上興部-西興部-(六興)-中興部 -(
http://tkohara.la.coocan.jp/douou5.htm
【失われた「本線」】 1989年、平成元年。名寄本線は、消えていきました。私の心の中に も、いっぱいの虚しさを残しながら… 昭和55年の国鉄再建法以降、いわゆる、超赤字 ローカル路線に関しては、廃止を覚悟しなければならない時代となりました。しかし、第1 次
http://blogs.yahoo.co.jp/b2unit0000/21653451.html
廃線跡を歩く-名寄本線「沼の上駅」そして「小向駅」にて- 注目される廃線跡 最近 廃線跡 や 廃駅 が一部の間で注目されているようです。でも 「そこに惹かれるのはどうしてでしょうか?」 それは・・・今はひっそりと佇む地域も、かつては多くの
http://blogs.yahoo.co.jp/furai58/12407170.html
路線の思い出 第41回 名寄本線・中興部駅、上興部駅 〔北海道〕 今回は『思い手お~い名寄本線』の 山線区間おば・・ 《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止転換年月日 輸送密度 / 営業係数 ('83) 転換処置 私も廃線前の乗りつぶしで三月末の新潟の無人駅に泊まったことはありましたが…寒かったです。 このあたりとは…想像を絶する世界です。 …でも、その甲斐あって? お宝をゲットされたようで、苦あれば楽あり…今では懐かしい思い出でしょうね。 私は隣町、下川で一年ばかり暮らしましたが
http://nissy830724.blog.fc2.com/blog-entry-108.html
名寄本線は1989(平成元)年4月30日限りで廃止されました。画像は廃線の1カ月ほど前に訪問した時のモノです。 列車交換でタブレットを受け取ります 名寄本線:上興部 (1989年3月9日) 上名寄 名寄本線:上名寄80円 無人化最終日券
http://blogs.yahoo.co.jp/dc140_2066/10762803.html
廃線跡が多く残る北海道。 今回は、中湧別駅跡。 立派な跨線橋が残ります。 ホームと貨車もいい味を出しています。 跨線橋の中には入れませんが、貨車には乗れるようです。 こちらもほっとするような駅名板。 当時のものがそのままのよう
http://ameblo.jp/nanfuru/entry-10736210919.html
旅の好奇心-Ameba さがるまーたさんのブログです。長い間、旅をしてきました。旅行記にはかけない些細なことやマニアックなこと(とくに交通関係)をつづります。2011年は週3回(木、土、月)+α更新予定でしたが、このところ、毎月旅行に行って
http://blog.livedoor.jp/ekon_bangai/archives/41815943.html
それだけに、 現場を見てみたかったのです 岬の先端あたりに車を停めます. 20141006_2-3. この道路の上の平らな部分に線路があったはず 藻興部川橋梁1975_2 ※この背景地図等データは、 国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです. 左の太い川(藻興部川)と. T字路をはさんである細い川にそれぞれ架かっています 車窓からは原野とオホーツクの荒々しい風景が見えていたのでしょうね さらにここから10km余り南に進むと見えてくるのがこの橋梁. 20141006_2-39 「オムシャリ
http://tak2tama.blog64.fc2.com/blog-entry-236.html
先日北見に行く機会があり、名寄本線と湧網線の連絡駅でもあった中湧別の駅跡に行く事が出来ました^^ 道の駅の横にあるんですがほぼ現役時当
http://tak2tama.blog64.fc2.com/blog-entry-96.html
名寄本線跡 小向駅跡地です(^^)看板が残っているのが嬉しいですね 小向駅前から
http://9.pro.tok2.com/~yjinno/nayoro.html
「今どこにいるんですか」と聞かれたので「紋別市です」と答えたら驚いていました。渚滑から旧渚滑線跡に沿って上川に向かいました。なお渚滑以北では下川が鉄道記念館になっていたり、興部が道の駅になっているそうです
http://www1.linkclub.or.jp/~okutomo/repo/nayor.html
名寄~中湧別~遠軽、中湧別~湧別(143km) 【主な駅】 名寄、下川、興部、渚滑、 紋別、中湧別、遠軽、湧別 【沿 革】 1919.10.20 名寄~下川 1920.10.25 下川~上興部 1921.03.25 名寄西線に改称 1921.10.05
http://charikikou.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
名寄本線藻興部川の橋梁。廃線跡です。枕木の一部が残っていたので渡ってみた。るろち橋。舌がもつれてうまく言えない・・・