http://takasuzuki.travel.coocan.jp/nankai.htm
魔境!南海天王寺支線かつて大阪の片隅に南海電気鉄道天王寺支線という路線があった。この南海天王寺支線を実際に訪れる前につかんでいた情報は次のようなものだけであった。 ●昭和59年(1984年)11月18日に一部区間(天下茶屋-今池町間)が廃止され、南海本線との接続が絶たれた孤立路線となってしまった。 ●その理由は地下鉄堺筋線の延長工事に支障するためである。地下鉄完成時には天王寺支線は全区間廃止される予定である。 ●部分廃止時に途中駅「飛田本通(とびたほんどおり)」が新設された。 ●線内に車両(1521形)が2両閉じ込められている。 ●天王寺駅のガード下に仮設の車庫が設けられている。本線から線路が切り離された離れ小島の路線であり、しかも天王寺駅はちょっと驚くような所とも聞いていた。南海天王寺支線を実際に訪れたのは平成2年(1990年)8月。目的地は九州であったが新幹線(当時最新鋭の100系3000番台「グランドひかり」に乗車)とブルートレイン「なは」を乗り継ぐこととし、新大阪での間合い時間を利用してのことであった。新大阪から東海道線と大阪環状線を乗り継ぎ、天王寺駅に到着。ここで一旦JRの改札口を出て南海天王寺支線の券売機をさがしてみた。予想ではJRの券売機と同列で並んでいるのではないかと思ったからだ。ところがどの券売機もJR線のものばかりであり、その中に「南海線」の文字があったと思ったらそれは新今宮乗り換えの南海本線への連絡券発売用のものであったりと、どうしても天王寺支線の券売機が見つからなかった。 広いコンコースを眺めてみると「鉄道案内所」と書かれたブースを発見。(そのものずばりの名前だ)と思いながら「南海天王寺線の切符はどこで買うんですか。」と尋ねると、中にいた係員氏は「この先のコインロッカーのある所を通り抜けて階段を降りた所だよ。」との回答。係員氏が指差した先のコンコースの一角には確かにコインロッカーが並んでいた。そのコインロッカーの列を抜けると下に降りる薄暗い階段があった。言われなければこんな所に階段があるとは気づかないような目立たない場所だ。他に通る人もない階段を降りるとホームが現れた。だがそこ...で「今池町まで。」と運賃(110円だったかと思う)を差し出すと中にいた駅員氏はそのままどうぞという手振り。天王寺支線内のみ乗車の場合は発券せず、その先南海本線へ乗り継ぐ(徒歩連絡というのもすごい)場合のみ切符を出してくれるらしい。まだ列車は到着していない。暗い仮設ホームを歩いてみると線路の向こうの柱を隔てた所にもう1本線路があり、車両が1両留置されていた。どうやらそこが車庫の代わりのようだがこの天王寺支線は線路が孤立しているのでこの暗い構内で車両点検も行わなければならないようだ。 やがて線路の先の、まるでトンネル出入口のように外の光が見える所から列車が進入してきた。1521形の単行の列車からはそれなりの数の客が降りてきた。だが折り返しの今池町ゆきに乗る客はわずかだった。1521形は旧型車の足回りを流用した車体更新車でつりかけ式の旧性能車。冷房も付いていないがこの時はさほど気にならなかった。車内はやや広告が少なめに思えた。単行だが車掌も乗務していた。単行の列車は仮設天王寺駅を出発。暗闇を抜けようやく明るい所へ出ると右手にJR大阪環状線が併走するがすぐに分かれ大きな踏切を通過した。複線かと思いきや進行右側に見える線路はところどころ途切れさびついており、旧下り線を使用しての単線運転であった。沿線は住宅や小さなビルが密集する下町的風景。やがて左から右へポイントを渡るようにして旧上り線側へと移動すると飛田本通駅に到着。路線短縮時に新設されたこの駅は旧下り線の上に造られた短いホームが1面あるだけで、しかも鉄パイプを組み合わせて造った全くの仮設構造であった。駅員もいないようだ。飛田本通を発車すると今度は左手に旧下り線が併行。前方に阪堺電気軌道(路面電車)のガードが現れ、それをくぐるとすぐ終点の今池町駅に到着した。ここもホームは1面のみで、駅員はいない無人駅のようであった。線路はここで完全に切られ行き止まりとなっていた。その先南海本線に通じていた線路跡は工事現場で見られるような鉄板の壁でさえぎられており様子をうかがうことはできなかった。折り返しの電車の出発を見送ることなく足早にすぐ近くの阪堺電気軌道今池停留所へと向かった。 南海電気鉄道天王寺支線はその後平成5年(1993年)3月に廃止され、この鉄道魔境も消滅した。 今池町駅の風景
https://jidolmagazine.com/2019/08/22/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E6%94%AF%E7%B7%9A%E5%BB%83%E7%B7%9A%E7%B4%80%E8%A1%8C%E3%80%9C%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89%E6%BC%82%E3%81%86%E3%83%AC%E3%83%88/
「天王寺駅」と大阪市西成区にある南海本線の「天下茶屋駅」間、わずか約2.4kmを結んでいた南海天王寺支線。大阪市営地下鉄堺筋線の「天下茶屋駅」延伸により「天下茶屋駅」から「今池町駅」間が1984年(昭和59年)に廃止され、残った「今池町駅」から「天王寺駅」間も1993年(平成5年)に廃止されました。
http://www.soleil1969.com/ruinstop/ten/ten1.html
■南海電気鉄道 天王寺支線跡 ■簡単スペック総延長 2.4km全線開通 1900年10月(明治33年)廃止 1984年11月(昭和59年):天下茶屋-今池町 1993年3月(平成5年) :天王寺-今池町撮影 2005年5月29日 ◆路線マップ ◆天王寺支線 1 2南海電鉄天王寺支線は、全線複線で1900年から1984年にかけて天王寺駅から天下茶屋駅間の2.4kmを走っており、旧国鉄と南海電鉄との連絡線でもあったようです。1966年に新今宮駅(南海、JR)が開業すると支線扱いとなり、地下鉄堺筋線の計画により1984年に天下茶屋-今池町間が廃止となりました。今池町-天王寺間は1993年まで運行していましたが、地下鉄堺筋線が天下茶屋まで開通するのとほぼ同時に廃止となりました。赤の点線が今回ターゲットの天王寺支線跡。飛田本通という駅が今池-天王寺間にでき旅客増大を目指したらしい。位置は推測。図中には記載していないが、阪堺線の松田駅近辺から平野線(南海)跡があるらしい。天王寺駅西側の安部野橋から支線跡をみた写真。全線複線とあったがここから始まるようだ。下まで降りられないのが残念だ。これも阿倍野橋からみたところ。フェンスで仕切られているが、架線柱をみると複線電化だった事がわかる。もう一丁。ちなみに、右はJR大阪環状線なんだけどいろいろ走っているのでなんだかよくわからない。写真中央から右方向にかけて寂れた架線柱が見える。もっと近づきたかったのだが列車が次々にきていて近づけませんでした。前の写真の次にあるコンクリート製の架線柱。レールはここはもう無いようです。廃線跡は駐車場になっていました。もう一丁R43線の延長?の道路を横切った先の写真。かつては踏み切りがあったのだろうけれど、その痕跡は一切ない。ちなみに、柵(中央)のある所が線路跡といいうけれどなんだかわからんね。山王1丁目(北門近く)にあった廃線跡。道路の為に削られているが、コンクリートの変色部分によって築堤の感じがよくわかる。◆天王寺支線 1 2 ■Index■Top