http://yosuzumex.daa.jp/industrial_heritage/hai/okutsu/okutsu_01.htm
安来製鋼所奥津分工場跡 その1安芸鋼といえば刃物ファンにはたまらない響きがあります。日本の伝統製鋼技術の粋といえる“玉鋼”の産地として中国地方はとても有名です。大阪、堺市で行われる刃物祭りで中国地方の、あるカスタムナイフメーカーの方に原料となる最高級の玉鋼のブロックを見せてもらった事があります。プラチナも負けるんじゃないかというほどのあまりの物凄い輝きに言葉を失ってしまいました。その玉鋼で作られた小柄も見事な波紋が出ていて貧乏だったので購入は出来なかったのですが手にとって眺めさせてもらいました。細身の刀身にぞくぞくする程の迫力がありました。玉鋼は生産が困難で凄く貴重な物です。天然の砂鉄を10t以上集め、3日3晩、木炭で焼きつづけ2~3tの、ケラという鉄の塊を得ます。その中の約500kgが玉鋼として使えるものになるのです。更に玉鋼には7つの等級があり最高級の物は原料の砂鉄10tのうちのほんの僅かなのです。天然の砂鉄はその採取地域により当然、含有物質が異なり品位に差が出ます。安芸鋼は国内の最高の砂鉄を採取できる土地に発達した技術と産業なのです。岡山県にはタタラ製鉄の遺跡・遺構が幾つか残っています。今回、 PC全般の事でいつもお世話になっているM様と『岡山県・横溝正史の雰囲気にどっぷり浸りましょう旅行』を計画中に奥津町の観光情報を調べていると、『安来製鋼所奥津分工場跡』という文字が観光地図にあるのを見つけました。夜雀 「ここ行く!これ行く!絶対行くーーーっです!」M様 「はい。いいですよー。」夜雀 「ここに歩いていける距離のお宿がいいですーーっ!」M様 「はい。見つけましょう。」夜雀 「朝一番に入るー!一番乗りでかぶりつきで見るー!」M様 「はい。お宿決めましたよ。」夜雀 「ありがとうございます。」M様 「いえいえ。どういたしまして。」Webで調べた工場跡の歴史は1919年 完成 1925年 閉鎖 ???第一次世界大戦の鉄需要に併せて精錬業務を行っていましたが戦後の急速な需要の落ち込みに対して閉鎖されたという大変、短い運命の精錬工場だったようです。ちなみに安芸製鋼自体は現在もその高級特殊鋼の専門技術の高さゆえに、財閥に吸収合併されながら存続しています。現地に残っているのは築85年の煉瓦煙突だけの様子です。一日目、お宿に到着してすぐ、仲居さんに奥津分工場跡の事を聞きました。「この1kmほど北に煉瓦造りの古い煙突が立っていると聞いているんですが。」「......。あ、ありますあります。」「朝一番に写真撮りに行きたいんですが危なくないですよね?」「え、ええ。でも何にも残ってませんよ。」「奥津町の観光案内に載っていたんですけどねぇ。行きたがる人居ないですか。」「私がここに勤めてからあの煙突の事を聞かれたのは始めてですね。」地元ではちっともメジャーではないようです。風景一体化産業遺構パターンですね。とにかく行ってみようと朝一番、太陽が昇り始める時間にお宿をこっそり出て川沿いの道をとことこ歩きます。しばらく歩くと川の向こうに見えてきました。田んぼと山林と民家の間に煙突が。橋を渡ってどんどん近づきます。するととんでもない物が見え始めました。煙突の中から生えている木があるのです!最上部にはでっかいクラックが!こ、壊れそう...。煙突の立っている場所は栗畑のようになっています。畑地かもしれません。仕方ないので山のほうに一度上がりました。裏から周ろうという計算です。人がいたらお話聞いて許可を頂いて近づけるのに..朝7時前、まだ日も上がっていませんから仕方ないんですけど。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/38871727/
さて、行ってみたかった気になるスポットとは、『安来製鋼所奥津分工場跡』 というところ。ナビ検索も出て来ず、案内看板も無いので、奥津町の観光地図を頼りに探し当てた。煙突が見える。 しかし、茂みに覆われて道は無く、どうやって近付けば良いか分からない。民家の住人のお父さんに尋ねますと右手の坂を上るルートを教えてくださいました。
https://www.energia.co.jp/eneso/kankoubutsu/keirepo/pdf/MR1304-2.pdf
https://porluchas.exblog.jp/24919540/
たとえばこれ。畑の上の土手、栗の木の中に立つ一本のレンガの煙突。安来製鋼所奥津分工場、といって、大正時代にあった「たたら製鉄」の精錬所。今残っているのは、木がレンガを割って伸び、アンコールワットみたいになった煙突だけ。