人形峠鉱山 概要・歴史
人形峠鉱山は鳥取県東伯郡三朝町にあった鉱山。
1955(昭和30)年に発見。日本で唯一、まとまった鉱量の見込めるウラン鉱として1958年~1963年に核燃料サイクル開発機構により採掘された。
1964年(昭和39)年に山元試験製錬所が建設され、ウランの採掘から精錬までの技術研究が行われた。ここで初めて製造した塩化ウラニルは茨城県の東海村の施設へ運ばれた。
鉱業所は1967年(昭和42)年に人形峠鉱業所、1978(昭和53)年に人形峠事業所に改称。
1979(昭和54)年にアメリカで起きたスリーマイル島原子力発電所事故を契機に、ウランの国際的な取引価格は下落、経済的に国内でのウラン精製より輸入が安価とんり、人形峠でのウラン採掘は中止されることになった。
かつてのウラン坑道は一般公開され見学することもできる。
地図位置は「ウラン鉱床露頭発見の地」碑。
痕跡を残しての再利用・一部現役・一部解体等、通常の不使用状態ではありません
2021-10-06