万古集落(まんごしゅうらく)は、長野県飯田市南信濃南和田(旧・南信濃村)の廃村集落。大字南和田の....

万古集落

万古集落 概要・歴史

万古集落(まんごしゅうらく)は、長野県飯田市南信濃南和田(旧・南信濃村)の廃村集落。大字南和田の....

万古集落 画像

為栗駅方面から万古集落に向かう道。斜面にロープが張られただけのような道(2023年7月)
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万古集落南部の廃屋①
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万古集落の廃屋
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神社らしい建物
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万古隧道方面から向かう際の万古川に架かる吊り橋(2023年8月)
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斜面地の廃屋
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小さな橋
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便所
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道が崩落している
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廃屋群②
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作業小屋?
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風呂場と便所
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墓地
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一軒家③
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万古集落(2023年9月)
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近くのスポット

万古集落 ストリートビュー・空中写真

万古集落 関連ブログ・参考リンク

https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/47175907/
2023年7月29日土曜日、飯田市南信濃南和田の万古集落跡から谷京峠への峠道を探索しました。先週の7月22日土曜日は、飯田市南信濃南和田の飯島から谷京峠までの峠道を探索しましたが、今回はその続きの探索となります。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/47200157/
2023年8月5日土曜日、長野県飯田市南信濃南和田の万古集落跡の周辺を探索してきました。今回の主な目的は、万古集落跡から泰阜村方面への秋葉道(中道)のルート確認になります。下伊那郡泰阜村我科にある万古隧道の東側坑口前へと来ました。このトンネルの東側坑口付近から、万古集落跡へと続く徒歩道が分岐しているはずです。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/47204214/
2023年8月5日土曜日、長野県飯田市南信濃南和田の万古集落跡の周辺を探索してきました。今回の主な目的は、万古集落跡から泰阜村方面への秋葉道(中道)のルート確認になります。前回(1)では万古隧道を出発し、万古集落跡の内、北側の集落の跡で廃屋を見て回りました。
http://www.mis.janis.or.jp/~takao424/hudoki/mango1.htm
 落人の里 万古(まんご) 昭和57年 米山賢昭さんの家  飯田線為栗(してぐり)駅から万古川に沿った起伏のある山道を四十分ほど遡ったとろに、かつて万古集落のひとつがありました。 そこから十分ほど、急峻な道を上り詰めたところに、大きな松の木の下に石碑群がひっそりと建っています。 村人は庚申ぼつと呼んでいましたが、ここは泰阜(やすおか)・阿南方面から谷京峠へと通ずる秋葉信仰、観音信仰の道だったのです。谷京峠の石碑に温田(ぬくた)、田本、美佐野、我治名(がじな)の地名と人名が刻まれていることからみても、大勢の人たちがこの道を辿ったことが想像できます。 この庚申塚を下ったところに秦文夫(大正十一年生まれ)さんの家があります。万古には、終戦直後三つの集落に十三戸の家がありましたが、昭和四十年後半から五十年にかけて、平岡ダムの影響による移転などでほとんどの人たちが去ったあとも、奏さんはたった一人で生きてきました。 万古の行政区は南信濃村ですが、郵便は平岡局区内、電話は泰阜村(やすおかむら)二十五局、そして学校も泰阜の学校とその地形からたいへん複雑です。 明治七年岡島学校(後の村立名古山学校の前身)の分教所が設置されましたが、泰阜村の南山学校(後の泰阜南小学校)へ通学を始めたため、これには村も困り郡長へ『御願書』を出すなど、騒動となりました(南信濃村史)。 万古の歴史は古く、平家の落人とか、十五世紀に京都から秦氏(現在飯田市に在住の秦弘氏の先祖)の一族一党が住み着いたとも伝えられています。またその地名については、『秦一族は産鉄技術者の集団であったのではないか。その頭領が巫術(ふじゅつ)を使う若い女性で『万古』の地名のもととなったのではないか』と考える人もいます。 沖縄県宮古本島に『万古山』と呼ばれる山がありますが、ここも神女と開係が深く、柳田国男は「〝○ん○″はもと、あるいは童子の霊の口を寄せる巫女の名であったかも知れぬ」と書いています。 昭和の初めには、問屋も宿屋もあり交通の要所として賑わった万古。今ここに住む人は僅か二戸三人だけです。        万古  1982.3         庚申ぼつ次の作品へ
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/20.Nagano/M-shinano_Mango.html
◆万古(まんご)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「満島」(昭和21.12)を使用したものである所在:飯田市南信濃南和田(みなみわだ)(一部は泰阜村?)地形図:満島/満島形態:川沿いに家屋が集まる標高:約330m訪問:2013年11月  大字南和田の西部、万古川沿いにある。一部は泰阜村に所属か。 最近の地図では、上の地図画像の地名表記より北側に地名と建物が記載されている(「川」の字の辺り)。訪問時はこのことを確認していなかったため、この部分のみの訪問となった。 万古隧道付近より万古川まで下り、吊り橋を渡るとまず廃屋が1軒(写真1)。これは泰阜村内であり、いわゆる万古集落に含まれるかは不明。すぐ南は泰阜・南信濃各村の境界となる小さな谷(写真3)で、この近くには便所の残る小さな土地が確認できる(写真4)。ただし宅地にしては狭小であり、何の跡であるかは分からない。最近の地図での地名表記まで到達すると、廃屋および建物の一部が残る屋敷跡が1箇所ずつと墓地(米山家。写真7)がある。さらに南の小さな峠には石塔や石仏が多数置かれ、小さな社も祀られている(写真10)。
https://yamap.com/activities/25781654
長野県飯田市南信濃南和田の万古集落跡から谷京峠へと至る古道を探索してきました。さて、現在の谷京峠の峠道としては、JR飯田線為栗駅から峠へと向かう古道が、戸倉山へのサブルートとして、山行記録に記載されているのが散見されます。しかし、現行の地形図ですと、谷京峠へ向かう峠道に為栗駅からのルートは記載されておらず、峠の南側からの破線道しか記されていません。これは、戸倉山へのメインの登山ルートが、飯田市南信濃南和田名田熊を出発地とすることに関連しているのでしょうか。
https://60cafab238.seesaa.net/article/201609article_1.html
スリリングで楽しい廃村万古への道。ここには束ねたロープがあった。