万古集落(まんごしゅうらく)は、長野県飯田市南信濃南和田(旧・南信濃村)の廃村集落。大字南和田の....

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名称 万古集落
住所 長野県飯田市南信濃南和田
種類 廃村・過疎集落・ゴーストタウン
長野県の廃村・過疎集落・ゴーストタウン
スコア
★★★ 70
現況
評価 ■■■
画像 photos 万古集落の写真

万古集落 概要・歴史

落人伝説の残る到達至難な秘境集落

万古集落(まんごしゅうらく)は、長野県飯田市南信濃南和田(旧・南信濃村)の廃村集落。大字南和田の西部、万古川沿いに位置する。

平家の落人や帰化氏族である秦氏の一族一党が住み着いたとの言い伝えもある。

「泰阜村誌」などによると、かつては集落内を泰阜村と遠山谷を結ぶ街道「秋葉道(中道)」が通っており、泰阜村からの米などの物資輸送や、伊那谷からの秋葉参りの旅行者により栄え、集落内には宿屋や問屋もあったという。

行政的には南信濃村に属していたが、郵便は平岡局区内、電話は泰阜村となり、1874(明治7)年に岡島学校(村立名古山学校の前身)の分教所が設置されたものの生徒たちは泰阜村の南山学校(後の泰阜南小学校)へ通学する等、複雑な立地にあった。

秋葉参りの衰退、交通路が「秋葉道(中道)」から天竜川舟運、さらに鉄道へと変化していったことで集落は寂れていき、1951(昭和26)年に天竜川に完成した平岡ダムにより集落の一部が湛水区域となったことで過疎化に拍車がかかった。

1982(昭和57)年には集落内の住民は2戸3人となっていたようだが、最終的に無人となった時期ははっきりしない。

集落の消滅時まで徒歩でしか辿り着くことのできなかった立地で、万古川沿いに3つの場所に分かれて住居等があった。

複数棟の廃屋や墓地などが残るほか、集落から少し離れた一軒家があり、居住者の高齢女性が秘境駅「為栗駅」を定期的に利用する人物として2015年12月にテレビ出演している。現在も居住されているかは不明である。

現在は、JR飯田線為栗駅(してぐりえき)からと、泰阜村道の万古隧道前からの徒歩道が残っているが、どちらの道も崩落している箇所があり、安易な訪問は控えるべきである。

注意 痕跡を残しての再利用・一部現役・一部解体等、通常の不使用状態ではありません

万古集落 画像

為栗駅方面から万古集落に向かう道。斜面にロープが張られただけのような道(2023年7月)
為栗駅方面から万古集落に向かう道。斜面にロープが張られただけのような道(2023年7月)
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万古集落南部の廃屋①
万古集落南部の廃屋①
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万古集落の廃屋
万古集落の廃屋
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神社らしい建物
神社らしい建物
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万古隧道方面から向かう際の万古川に架かる吊り橋(2023年8月)
万古隧道方面から向かう際の万古川に架かる吊り橋(2023年8月)
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斜面地の廃屋
斜面地の廃屋
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小さな橋
小さな橋
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便所
便所
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道が崩落している
道が崩落している
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廃屋群②
廃屋群②
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万古集落
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作業小屋?
作業小屋?
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風呂場と便所
風呂場と便所
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墓地
墓地
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一軒家③
一軒家③
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万古集落(2023年9月)
万古集落(2023年9月)
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万古集落 ストリートビュー・空中写真

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落人の里 万古
http://www.mis.janis.or.jp/~takao424/hudoki/mango1.htm
 落人の里 万古(まんご) 昭和57年 米山賢昭さんの家  飯田線為栗(してぐり)駅から万古川に沿った起伏のある山道を四十分ほど遡ったとろに、かつて万古集落のひとつがありました。 そこから十分ほど、急峻な道を上り詰めたところに、大きな松の木の下に石碑群がひっそりと建っています。 村人は庚申ぼつと呼んでいましたが、ここは泰阜(やすおか)・阿南方面から谷京峠へと通ずる秋葉信仰、観音信仰の道だったのです。谷京峠の石碑に温田(ぬくた)、田本、美佐野、我治名(がじな)の地名と人名が刻まれていることからみても、大勢の人たちがこの道を辿ったことが想像できます。 この庚申塚を下ったところに秦文夫(大正十一年生まれ)さんの家があります。万古には、終戦直後三つの集落に十三戸の家がありましたが、昭和四十年後半から五十年にかけて、平岡ダムの影響による移転などでほとんどの人たちが去ったあとも、奏さんはたった一人で生きてきました。 万古の行政区は南信濃村ですが、郵便は平岡局区内、電話は泰阜村(やすおかむら)二十五局、そして学校も泰阜の学校とその地形からたいへん複雑です。 明治七年岡島学校(後の村立名古山学校の前身)の分教所が設置されましたが、泰阜村の南山学校(後の泰阜南小学校)へ通学を始めたため、これには村も困り郡長へ『御願書』を出すなど、騒動となりました(南信濃村史)。 万古の歴史は古く、平家の落人とか、十五世紀に京都から秦氏(現在飯田市に在住の秦弘氏の先祖)の一族一党が住み着いたとも伝えられています。またその地名については、『秦一族は産鉄技術者の集団であったのではないか。その頭領が巫術(ふじゅつ)を使う若い女性で『万古』の地名のもととなったのではないか』と考える人もいます。 沖縄県宮古本島に『万古山』と呼ばれる山がありますが、ここも神女と開係が深く、柳田国男は「〝○ん○″はもと、あるいは童子の霊の口を寄せる巫女の名であったかも知れぬ」と書いています。 昭和の初めには、問屋も宿屋もあり交通の要所として賑わった万古。今ここに住む人は僅か二戸三人だけです。        万古  1982.3         庚申ぼつ次の作品へ
万古(南信濃村)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/20.Nagano/M-shinano_Mango.html
◆万古(まんご)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「満島」(昭和21.12)を使用したものである所在:飯田市南信濃南和田(みなみわだ)(一部は泰阜村?)地形図:満島/満島形態:川沿いに家屋が集まる標高:約330m訪問:2013年11月  大字南和田の西部、万古川沿いにある。一部は泰阜村に所属か。 最近の地図では、上の地図画像の地名表記より北側に地名と建物が記載されている(「川」の字の辺り)。訪問時はこのことを確認していなかったため、この部分のみの訪問となった。 万古隧道付近より万古川まで下り、吊り橋を渡るとまず廃屋が1軒(写真1)。これは泰阜村内であり、いわゆる万古集落に含まれるかは不明。すぐ南は泰阜・南信濃各村の境界となる小さな谷(写真3)で、この近くには便所の残る小さな土地が確認できる(写真4)。ただし宅地にしては狭小であり、何の跡であるかは分からない。最近の地図での地名表記まで到達すると、廃屋および建物の一部が残る屋敷跡が1箇所ずつと墓地(米山家。写真7)がある。さらに南の小さな峠には石塔や石仏が多数置かれ、小さな社も祀られている(写真10)。
万古集落跡から谷京峠への峠道を探索する-2023-07-29 / こばやしあにさんの熊伏山・観音山の活動データ ...
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長野県飯田市南信濃南和田の万古集落跡から谷京峠へと至る古道を探索してきました。さて、現在の谷京峠の峠道としては、JR飯田線為栗駅から峠へと向かう古道が、戸倉山へのサブルートとして、山行記録に記載されているのが散見されます。しかし、現行の地形図ですと、谷京峠へ向かう峠道に為栗駅からのルートは記載されておらず、峠の南側からの破線道しか記されていません。これは、戸倉山へのメインの登山ルートが、飯田市南信濃南和田名田熊を出発地とすることに関連しているのでしょうか。
廃村万古への道 満島(満島) 山系・赤石岳>鬼面山 2016.8.28.: 薮山独自ルート floatcl...
https://60cafab238.seesaa.net/article/201609article_1.html
スリリングで楽しい廃村万古への道。ここには束ねたロープがあった。