荻小学校明徳分校 概要・歴史
太郎村、吉野村時代から続く学校
荻小学校明徳分校は山形県南陽市太郎(旧・宮内町、旧・吉野村、旧・太郎村)にあった学校。
体育館と小さな平屋建て校舎をL字型に組み合わせたような校舎が残り、公民館として活用されている。
「明徳学校」と書かれた明治16年の書や「明徳へき地保育所」の看板などが保存されているという。
「明徳学校」については、『南陽市史編集資料 第30号』(南陽市教育委員会、2001年3月)の「明治17年興譲小学校日誌」における「太郎村開業ニ付」に対する注の中で「太郎学校については、南陽市史下巻に、はじめ荻学校の支校、明治11年1月校舎を改築して分離独立し城界学校、明治17年12月明徳学校と改称とある」との記述がある。「太郎村開業」とは校舎新築による「太郎村学校開業式」で、明治17年5月29日に行われたらしい。
また『すこし昔のくらし : 吉野民俗風土記』(南陽市吉野文化史研究会、1986年6月)によると、1645年時点で宮内村・金山村、荻村、小滝村があり、元禄年間に太郎村、下荻村、上荻村、小滝村となっている。1884(明治17)年4月に上・下萩村が合併して萩村となり、1889(明治22)年4月に金山村、太郎村、萩村、小滝村が合併して吉野村が誕生する。2年後の1891(明治24)年に金山村が分村するも、その後1955(昭和30)年に宮内町に合併するまで吉野村は続いた。
学校は明治6年に下荻村南蔵院に後の荻小学校の前身となる「荻学校」が創立。
太郎では1887(明治11)年に荻学校より分かれて城界学校が発足、明徳学校、太郎尋常小学校、明徳尋常小学校を経て1942(昭和17)年に萩学区へ合併、昭和33年に明徳分校は廃止された。
この間、1955(昭和30)年に吉野村は旧宮内町・漆山村・金山村と合併し宮内町となり、宮内町は1967(昭和42)年に赤湯町・和郷村と合併して南陽市となっている。
明徳分校は宮内町の時代に廃止されたが、その後も地域拠点や保育所として利用された。
2023年11月時点で現存し、建物は公民館として活用されており、校庭には遊具跡などが残る。ただしこれらの設備がいつ頃建設されたものなのか、学校時代から変わらないものなのかははっきりしない。