加悦SL広場(加悦鉄道) 関連ブログ・参考リンク
https://ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-12814649430.html
撮影日 2000/04/16 所在地は京都府与謝郡与謝野町滝 右は南海電気鉄道1201形電車モハ1202 左は1260形蒸気機関車1261右は2号蒸気機関車 左C58 390、右C57 189
https://blog.goo.ne.jp/tositaro191919/e/46728f1e8859e869ff0065aefb9dc813
前回(2015年8月23日の日記)、旧加悦(かや)鉄道の線路跡に整備されたサイクリングロードである、加悦岩滝自転車道(京都府道803号)を丹後山田駅跡から加悦駅跡まで走りました。この日はさらに、加悦駅跡から大江山鉱山駅までの2,8kmを走り、鉱山駅跡に整備されている加悦SL広場を訪ねることにしていました。旧加悦鉄道の加悦駅です。旧駅舎を180度回転させ前後を反対にして、現在地まで移動させてきました。このブログを書いているとき、メディアでは弘前城天守閣の移動のようすが報道されていましたが、木造の建物ならではの技術で、加悦駅も同じようにしてここまで移動してきました。
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/kaya/kaya1.html
加悦鉄道(かやてつどう) 1/3 丹後ちりめんの産地・加悦谷を走っていたローカル私鉄の記録です加悦鉄道は、天橋立の近くの国鉄丹後山田駅から、丹後ちりめんの産地加悦(かや)まで5.7kmを結んでいた私鉄(左図の赤線)で、1985(昭和60)年に廃止されました。丹後山田駅から岩滝工場まで、日本冶金工業の専用線(2.9km・左図の青線)があり、その運行も加悦鉄道が行っていましたが、専用線も1985(昭和60)年に廃止されました。加悦鉄道終点の加悦駅の南には、かつて大江山ニッケル鉱山があり、加悦~大江山2.5kmの専用線が引かれましたが、終戦と同時に鉱山も専用線も廃止されたそうです。加悦駅構内には、古典的な蒸気機関車や客車が保存展示してありました。1978(S53)年からは加悦SL広場という名前になりました。鉄道廃止後も、加悦SL広場は残り、その後、加悦駅の南にあった鉱山駅跡に移転し、蒸気機関車6両、内燃機関車5両、内燃動車4両、客車6両、その他6両の、計27両もの車両が保存展示されています。詳細は、加悦SL広場のホームページをご覧ください。保存車両は、NPO法人「加悦鐵道保存会」のボランティア活動により修繕されています。加悦鉄道1-①丹後山田 1971(S46)年4月1日私は加悦鉄道を2回訪問しました。最初の訪問は1971(昭和46)年の春でした。宮津線で丹後山田に到着し、加悦鉄道のホームで列車を待っていると、小さなディーゼル機関車が緑の客車を引っ張って到着しました。見ていると、機関車(DB201号)は客車を切り放し、入換を開始しました。ホームの外れになぜか小さな2軸客車が停まっており(左写真の中央)、その客車を連結しに行くようです。右側には、日本冶金専用線の貨物列車(DC351号)が到着しました。左側が国鉄のホームで、気動車が停まっています。加悦鉄道1-②丹後山田 1971(S46).4.1連結作業中です。DB201号は、駅に留置してあった木造2軸客車「ハ21」号を推進し、向こう側の3扉の緑色の客車(旧東急のサハ3104号)に連結しています。写真向こう側が加悦方向です。...↑加悦鉄道1-⑤ 丹後四辻 1971(S46).4.1貸切状態の客車から後方を展望しながら撮りました。ホームに給水塔があるのは、沿線ほぼ中間の丹後四辻駅です。 ←加悦鉄道1-⑥ 丹後四辻~三河内 1971(S46).4.1列車が通り過ぎたあと、子供が線路に耳をあて、レールの響きを聞いてます。このような光景は予想外だったので、ちょっと撮るタイミングが遅れてしまいました。加悦鉄道1-⑦丹後三河内 1971(S46).4.1三河内(みごうち)出発直後、列車が通り過ぎるのを待つ子供たちがいました。左上の⑥と同じ行動をするのではないかと期待しながら、カメラを準備して待ちました。期待通り、線路に耳をあてレールの響きを聞いてくれました。加悦鉄道1-⑧加悦 1971(S46).4.1加悦へ到着した客車列車の入換風景です。このDB201号は、蒸気機関車の足回りを利用して、森製作所で造られたディーゼル機関車で「森ブタ」という愛称があるそうです。客車に書いてある文字を拡大すると、形式 サハ3100、東京急行という文字が読めました。東急で廃車になった電車を客車として使っていました。加悦鉄道1-⑨加悦 1971(S46).4.1役目を終えたDB201号は、車庫近くの給水塔の横で一休みです。左隣には「ハブ3」号が停まっていました。その奥の立派な建物が、加悦の駅舎です。加悦鉄道1-⑩加悦 1971(S46).4.1車庫の中と外に荷台付きのディーゼルカーがいました。車庫の中にいるのがキハ51号で何か修理中のようです。車庫の横にいるのはキハ101号です。加悦鉄道1-⑪加悦 1971(S46).4.1上の写真⑩の逆方向から撮った車庫の風景です。加悦鉄道1-⑫加悦 1971(S46).4.1カラーでも少し撮りました。加悦駅の全景です。北側から撮っています。駅舎の横の山が大江山でしょうか?中央に写っている緑色の客車が、旧東急のサハ3104号です。この客車の陰に隠れる位置にSLが保存展示されていました。次のページをご覧ください。 次の頁(加悦鉄道2)へ参考図書 「新・消えた轍8近畿-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.10.30発行
http://haisentetsudouryou.travel.coocan.jp/141kaya1.html
加悦鉄道かやてつどう●路線概要 加悦鉄道駅名 営業キロ丹後山田たんごやまだ0.0水戸谷みとだに1.4丹後四辻たんごよつつじ2.6加悦谷高校前かやだにこうこうまえ3.5三河内口みごうちくち※4.0丹後三河内たんごみごうち※4.5加悦かや5.7※地名は「みごち」?日本冶金工業大江山線駅名 キロ程加悦かや0.0大江山(貨)おおえやま2.5 岩滝線駅名 キロ程 丹後山田たんごやまだ 0.0 大江山製作所(貨)おおえやませいさくしょ2.9●沿革と歴史【加悦鉄道】1926、12、5 加悦鉄道 丹後山田~加悦間開業1985、5、1 加悦鉄道 丹後山田~加悦間廃止【日本冶金工業】1940、8、4 大江山ニッケル鉱業 加悦~大江山間開業1942、10、14 大江山ニッケル工業 丹後山田~大江山製作所間開業1945、8 日本冶金工業 加悦~大江山間 丹後山田~大江山製作所間休止1949、10 加悦~大江山間 旅客営業開始(3ヶ月後中止)1952 丹後山田~大江山製作所間貨物営業再開1982 丹後山田~大江山製作所間貨物営業廃止1985、5、1 加悦~大江山間 丹後山田~大江山製作所間廃止●廃線跡の状況全線にわたって歩道化されている。調査日 丹後山田-加悦2019,3,15写真と調査結果 ①丹後山田~加悦間②日本冶金工業専用線 動画(外部サイト)トップページに戻る