河守鉱山 概要・歴史
河守鉱山(かわもりこうざん)は、京都府福知山市大江町佛性寺にあった鉱山。
1917(大正6)年に発見され、同年から大江山鉱山として銅が採掘された。
1928(昭和3)年に久原産業(後の日本鉱業株式会社)により買収され、1929(昭和4)年5月から操業を開始したが、不況により1930(昭和5)年9月に一時休山する。
1933(昭和8)年11月に再開し、同時にクロム鉱の採掘を始めたが、クロム鉱は1942(昭和17)年に採掘を終了している。
1953(昭和28)年に生産能力月産2000トンの比重選鉱場が設置され、1961(昭和36)年には月産8000トンの重選併用全泥優先浮遊選選鉱場を新設される。朝鮮特需もあり生産量が増大、1963(昭和38)年頃に最盛期に達し、従業員220名、鉱山人口は1,000名にも及んだ。
資源枯渇により1969(昭和44)年に休山、1973(昭和48)年に閉山した。
大江町立物成小学校があったが、1977(昭和52)年に俊成小学校と統合し美鈴小学校になっている。
ズリ跡、建物基礎跡、坑口跡のほかに、1959(昭和34)年に建設された映画館跡「河守会館」が残り、里自然環境活用センターとして活用されていたが、老朽化により2023(令和5)年12月に解体された。
また河守鉱山の南、大江町仏性寺及谷を登ったところに仏性寺鉱山があり、銅・鉛が採掘されていたが、坑口の崩壊が進み確認困難らしい。
2011-10-02
2024-08-13