弁天温泉旅館 概要・歴史
創業1885年の老舗温泉旅館
弁天温泉旅館は栃木県那須郡那須町の温泉旅館。那須高原、茶臼岳中腹、標高1200mに位置する。
創業1885年と言われる老舗温泉旅館で、創業者の小林佐吉氏が夢枕で弁天様のお告げを受けて発見したと言い伝えられる。ただし『下野宇都宮郷土史年表 増補版』(徳田浩淳、文化新報社、1955年)には1841(天保12)年に「那須弁天温泉発見さる」と記述されている。那須七湯の一つだった。
最も古いものでは『那須七湯周遊案内記 改正増補』(佐藤房之助、人見環、常磐商店、1891年7月)に図解入りで紹介されている。
非情に早い段階から温泉プールが設置されていたことが特徴の一つで、現存建物は1952年の竣工だが、『温泉ところところ』(布施広雄、1932年)にも「海抜千三百米でプール、湯だき、があり」と記されており、少なくとも戦前からプールが設けられていたらしい。
『栃木県市町村誌』(栃木県町村会、1955年)にイラスト付きので掲載された広告でもプールが描かれている。広告には「国鉄推薦」「交通公社協定」とあり、電話番号は「那須5番」と一桁である。
雑誌『温泉』(日本温泉協会、1959年3月)では表紙絵に描かれている。
『安く泊れるいで湯の旅』(大石真人、山と渓谷社、1963年)では「湯は宿裏の弁天祠の祀られている岩窟内から湧き出ており、豊富な湯量は大きな屋内浴場のほか、門前にある大きな温泉プールにひかれている。この温泉プールは古いもので、近頃でこそめずらしくなくなったが、これができたころは印象に残るものであった」と紹介されている。
なお、この温泉プールは後代には内部に水草などが生えてぬるぬるになり、湯も濁って自分の手も見えないほどと、沼のような様相となっていたが、子どもたちには変わらず愛されていた。
雑誌『温泉』(日本温泉協会、1970年6月)には「以前は昔風の雅味のある建物であったが、最近では増改築してりっぱになり、昔の趣は失われたのが少し惜しい気もする」とあり、増改築が行われたらしい。前後の写真を比べると、2階の手すりや破風部分の「弁天温泉」の看板がなくなっており、意匠に富んでいたかつての建築に比べるとややシンプルな作りに改築されている。
現役当時から廃墟風の味わいで、温泉ファンの間では秘湯として愛されてきた。
コロナ禍で2020年4月頃から休業、そのまま再開されることなく、2023年10月に宇都宮地裁大田原支部から破産手続きの開始決定を受けた。