シャインミンクは北海道北広島市にあるミンク飼育場跡。「輪厚の大廃墟群」等として紹介されていること...

シャインミンク

シャインミンク 概要・歴史

シャインミンクは北海道北広島市にあるミンク飼育場跡。「輪厚の大廃墟群」等として紹介されていること...

シャインミンク 画像

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https://z-behemoth.com/2019/01/01/%e5%8c%97%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%b8%82%e8%bc%aa%e5%8e%9a%e3%81%ae%e5%a4%a7%e5%bb%83%e5%a2%9f%e7%be%a4%e3%81%a8%e3%82%a2%e3%83%8b%e3%83%a1%e5%88%b6%e4%bd%9c%e4%bc%9a%e7%a4%be%e3%81%ae%e8%ac%8e%e3%81%ae/
北広島市の郊外で、大規模な建物群があるにも関わらず、建物の名称などの情報が出てこないエリアがあります。いくつもの細長い建物が平行に並んでいます。・・・よくわかりませんよね。Yahoo地図から航空写真を見てみましょう。うーん、地図を掲出してもよく分かりませんかね。位置的には札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの西側に所在します。Googleマップでもっと寄ってみましょうか。
https://z-behemoth.com/2019/01/07/%e5%8c%97%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%b8%82%e8%bc%aa%e5%8e%9a%e3%81%ae%e5%a4%a7%e5%bb%83%e5%a2%9f%e7%be%a4%e3%81%a8%e3%82%a2%e3%83%8b%e3%83%a1%e5%88%b6%e4%bd%9c%e4%bc%9a%e7%a4%be%e3%81%ae%e8%ac%8e%e3%81%ae-2/
さて、前回は北広島市輪厚の奥地にある『ミンク飼育場』を紹介しました。1970年前後に建設されたミンク飼育場の建物ですが、10年後には屋根が錆び始め、20年後には地図で建物が省略され、40年後以降は、建物どころか名称までも地図から消えてしまいます。このミンク飼育場は現在どのようになっているのでしょうか?
https://z-behemoth.com/2019/01/16/%e5%8c%97%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%b8%82%e8%bc%aa%e5%8e%9a%e3%81%ae%e5%a4%a7%e5%bb%83%e5%a2%9f%e7%be%a4%e3%81%a8%e3%82%a2%e3%83%8b%e3%83%a1%e5%88%b6%e4%bd%9c%e4%bc%9a%e7%a4%be%e3%81%ae%e8%ac%8e%e3%81%ae-3/
さて、前回(②)、前々回(①)と奥輪厚の大廃墟群の歴史と現状を紹介しました。今回はこの廃墟群が具体的に誰が所有していて、どのような経緯を辿ってきたのか、明らかにしてゆきましょう。・・・というか、既にタイトルでネタバレしているんですが、大手グループのアニメ制作会社との間に意外な関係があったのです。
https://nodaiweb.university.jp/muse/unisan/files/uni_2021_mink.pdf
https://nodaiweb.university.jp/muse/unisan/kegawa/mink_shinbun_sengo.html
「日本ミンク産業の歩み 戦後編」|鳥獣と家畜のあいだ—近代日本の毛皮産業と牽引力北海道ミンク新聞「日本ミンク産業の歩み 戦後編」1 118号 1972-5-20 ミンク産業の戦後史は昭和27年に始まる。O道農務部長が道庁職員として戦後初の渡米し3か月間視察した。そこで女性がミンクのコートを羽織っているのを見かけ、正札1万ドルと知る。田中俊文知事に促され視察成果からいくつか事業の予算化を目指したが財政難を理由に査定落ち、残ったのがミンク種畜の導入だった。予算案は300万円、うち半額は国庫補助を予定した。O部長は農林省と折衝したが理解は得られず、道単費150万円を昭和28年度当初予算に計上した。 種畜の買い付けは畜産課のKS技師(後農務部長)が牛馬の種畜買い付けに渡米するのでミンクの購入も兼務した。ミンクの購入は、ソルトレーク市でミンクを飼育している日系一世のチャールス手嶋三郎氏からおこなった。10月にサファイア、ダーク、パステルの3種28匹と民間委託分[代理購入の意味か]22頭が羽田空港に到着、O部長が出迎え横浜の動物検疫所で16日間の検疫がおこなわれた。 ミンク飼育には三井物産(当時は第一物産)の子会社、東邦ミンクがあるが、始まりはO部長が東京滞在中に第一物産のM常務にあって話をしているうちにミンクの話になったことがきっかけだった。当時、電源開発総裁を務めていた高碕達之助もM常務に企業化を勧めた。東邦ミンクは昭和29年に設立され、札幌の藤の沢に飼育場を開設、同年孕み40頭を輸入、翌30年1月に滝川種羊場からH氏を主任技術者に迎えアメリカに派遣、手嶋氏の飼育場で10か月間研修をおこなった。孕みミンクは藤の沢の高台にあるSY氏の飼育場に収容、東邦ミンクの飼育場はその下に建設した。初代場長はHT氏だった。孕みミンクは順調に出産し、30年の種畜は雌雄あわせて260頭に達した。第1回輸入孕みミンクの貸付先は表として掲載されている。 三井物産がミンク養殖に乗り出したことは追い風となり、大手水産会社の参入につながった[詳しい経過や高碕...-11-20 「飼育籠の完成まで」、小樽、加藤鉄網株式会社前社長談。7 125号 1972-12-20 ミンクの飼育の課題のひとつは餌にあった。当時は米国直輸入の方式であったので、飼料の20%に馬肉を用いていた。ところが北海道では馬肉の生産が縮小し食用馬赤肉を与えることはコスト高を招いていた。そこで東邦ミンクは藤の沢飼育場で鯨肉を用いることを試行、昭和33年には全面的に馬肉から切り替えた。「これが転機となって」33年に現在の鹿部村営ミンクが村民の参加による生産販売事業協同組合の形で設立され、34年に日魯漁業が網走に直営の飼育場を開設、35年には日東スリーエフが浜中村に飼育場を開設した。また同年は大洋漁業捕鯨部が太田村で、貿易部が米国アメリックスと合弁の大洋アメレックス株式会社により鶴居村で飼育を開始した。 34年1月14日は皇太子との成婚を前に納采の儀で正田美智子氏がサファイアミンクのストールを着用し、一般の認知が高まった。同年は道南の鍋谷と鹿部でジステンパーが発生し5500頭が斃死した。  35年に輸入した種ミンクは11050頭という空前絶後の大量となった。35年の飼育数もピーク時で4万頭と推定されている。この推定値は三井物産札幌支店と東邦ミンクの両者で発行された「ミンク情報」による。表を掲載。 「ミンク情報」では現状分析と将来の見通しを掲載、1)日本の毛皮の品質は米国カナダに遜色ない、2)北欧よりもむしろ高品質だが、サイズが小さい、3)数量のまとまった(50–70)種類品質が確保が課題、としている。現在の課題は、4)現状では低価格低品質で輸出しておりその評価が固定化される可能性、5)国内の販売経路を一本化して鑑定格付けをして輸出すること、つまりはブランド化と具体的な方法としている。参考事例として米国市場で好評の北欧のSAGA、アメリカのEMBA、UMPA、GLMA、カナダのCMBを挙げる。8 125号 1973-1-15 29年に東邦ミンクから派遣されアメリカで10か月の研修をおこなったH氏のレポート。研修先はソルトレーク市の手嶋氏の飼育場。鳥獣と家畜のあいだ—近代日本の毛皮産業と牽引力トップ|トップページ|寺田弘旧蔵毛皮文献資料「寺田文庫」Copyright (C) 2021 宇仁義和 unisan@m5.dion.ne.jp
https://chitose-aq.jp/wp-content/uploads/2022/08/db201acd158b4c99d185f7072ce7b187.pdf
https://northman.exblog.jp/32786057/
反対の南側では、ミンクの飼育場の廃墟(平成3年に事業撤退)やいちご生産農家が散見する。